★ 日々のことを気のむいた時に書きます
2005/3/15(火) 晴れ M夫人の訃報 一昨日M夫人逝去の知らせがあった。 約1年の闘病生活で帰らぬ人となり残念でならない。70半ばであった。 癌は生への縋るようなおもいも見逃してくれず残酷である。 お通夜に夫とお参りに行った。 祭壇の中央に飾られた遺影はにこやかな表情で微笑み、今にも語りかけてこられそうな錯覚を抱かせた。両側の壁面は美しい夫人にふさわしい花輪で覆いつくされていた。 在りし日のご家族との写真を見ながらその生涯をおもった。 夫の上司夫人で、私は高校の大先輩(旧制の)でもあった。 何事も手抜きすることなく全力投球する人生のお手本となる婦人であった。お茶、生け花、習字、日本舞踊、社交ダンス、カラオケ・・・ ユーモアのセンスもあった。 賢夫人で華のある女性であった。惜しまれる。 心よりご冥福を祈る。 このページのトップへ2005/2/19(土)曇り時々晴れ 世界遺産『レジデンス』 雨の日が続き気が塞ぐ。 昼過ぎ青空が覗いてきたので待ち構えていたように洗濯を始めた。 干し場に行こうと足を止めてテレビの画面を見遣った。階段と天井画が映っている。 見覚えのある画像のようである。確認したいと思って画面の前に座った。階段と天井画の四方が映し出された。直感で、もしかしたらヴュルツブルクの世界遺産『レジデンス』では?と思った。しばらく画面を眺めていたら、ナレーションの説明で紛れもなく『レジデンス』であった。 中世の司教都市であった「ヴュルツブルク」は2004年12月のドイツ旅行で見学した。つい2ヶ月前のことである。 その時『レジデンス』の天井画部分は修復中であった。白い布に覆われていて見ることが出来なかった。 イタリア・ヴェネチアの画家「ティエポロ」のフレスコ画である。 ちょっと残念なおもいをしたが、今、画面に修復が終わった天井画の全容が現われた。アーチ状の天井に天空を舞う女神が姿を現した。 「階段の間」と言われているが、階段から天井画に向かって柱一本無い広い空間が広がっている。改めて中世の司教の権力と芸術への飽くなき追及を知るおもいがする。 何気なしにテレビの画面を見遣った偶然が、素晴らしい遭遇をもたらしてくれた。 ふと暦を見ると大安とある。私にとっても幸運の日である。 このページのトップへ
今年は霧島国際音楽祭が始まって25年目、「ヴェートーヴェン――その音楽と宇宙」をテーマに、「苦悩をつきぬけて歓喜へ」と題して霧島の「みやまコンセール」で開催された。 8月8日(日)、そのファイナルコンサートを聴きに行った。 演目は初めにバルトークの作品を弦楽四重奏のアンサンブルによる演奏であった。 そして最終章は「歓喜の合唱」と題してヴェートーヴェンの交響曲「第九」番が演奏された。 指揮―ゲルハルト・ボッセ ソリスト 渡辺美佐子(ソプラノ) 坂本朱(アルト) 錦織健(テノール) 池田直樹(バス) ※ 鹿児島県蒲生出身、二期会副理事長 合唱 神戸市混声合唱団、地元アーティスト オーケストラ ストゥリング・アンサンブル・キリシマ ヴェートーヴェンの「第九」は、日本では年末に演奏されることが恒例のようになっている。今日は緑豊かな霧島の草原に建つ「みやまコンセール」で真夏の「第九」を聴いた。 この会場は収容人員770人だが音響がいいことで定評がある。 ソリストもリサイタルやテレビ・ラジオで活躍している錦織健、地元鹿児島県出身・二期会副理事長の池田直樹、女性シンガーも二期会で活躍中の人である。 交響曲「第九」番は、合唱、ソリスト、オーケストラの音が一つに溶け合って緑豊かな霧島で声高らかに歌い上げられた。 戻り道の車窓から道端に咲いている萩が視界に飛び込んできた。 2004/8/5(木)晴れ 我ながら? 去る7月11日のことである。今日から1週間金沢・能登地方へ旅に出る。 航空券はティケットレスで予約していた。予約番号は予めプリントして、数日前にハンドバッグにいれていたのでそれを持参するだけでよかった。 12時の便に搭乗するので10時に自宅を出ればよい計算であった。6時に起床して、洗濯、夫の昼と夜の食事を準備した。鹿児島空港に11時前に着いた。 12時の便の空席があるとわかって急遽購入した。手続きを済ませてから娘へ12時の便になったことを電話した。この便に乗れば小松行きの便に間に合う。その結果、小松便に乗れて事なきをえたが気は焦り慌てた。なんという際どい旅のスタート! 10時発便はフリーのティケットだったのに、自分の不注意が因で12時の便は料金発生した。空席があり30% offで買えたので内心ほっとした。もしなかったら金沢行きは吹っ飛んでしまうところだった。 娘に“空席があってよかったね、その分マイレージが貯まるよ”と慰められた。 常日頃メモをとるよう心がけてきたつもりが、メモを見なければ意味のないことである。なんだか自分の記憶力に自信がなくなってきた。これも老化現象の顕れでしょうか。それとも真夏の昼の夢? しっかりして!! このページのトップへ2004/7/22(木)晴れ 岩牡蠣 7月半ばに金沢へ行ってきた。 和倉から能登島へ行く途中、七尾市にある能登食祭市場に寄った。 宅急便で自宅送りとした。 今朝9時ごろ七尾海鮮市場で宅急便依頼した海産物が届いた。 鹿児島ではアオヤギ貝のことを白貝と呼んでいるが、能登の白貝は初めて食した。 2004/7/19(月)、7/20(火) 晴れ 梅の土用干し 朝から真っ青な夏空が広がっている。 取り入れる頃は紫蘇に染まった梅が土用の陽をたっぷり浴びて赤みを増し、干しあがったばかりの梅から生唾が出てきそうな匂いが辺りに広がる。1粒つまんで頬ばってみる。 酸っぱさも水分が凝縮されてまろやかな酸味に感じる。干しあがったばかりの梅干しを入れて熱々のご飯で握ったお結びは最高である。干しあがったばかりの梅干の風味はこの時期だけしか味わえない、市販のものではできない、一際手作りの良さを感じる時である。 通りすがりの小筋に入ったとき、マンションの駐車場で車のボンネット上にざるらしいものを乗せて横に男性が立っている。 2004/5/30 (日) 晴れ ジャズコンサート 5月末に、次女の誘いでジャズバンドのライブ演奏を聴くために上京した。 5月30日、「100人のビッグバンド」と銘うったアマチュアのジャズのライブ演奏が砧区民会館で開催されて、息子夫婦、長女それに私の4人で聴きに行った。 この日の彼女の出演は2ステージである。 木村氏は司会での話し方もユーモアがあり曲の紹介でもつい熱が入り時間オーバーになる。ジャズへの情熱、音へのこだわりのようなものが伝わってくる。団員は社会人が中心で10代後半から60代までの幅広い年齢層で、母(ピアノ)と息子(打楽器)、父と息子、福井や長崎から毎週練習に参加している猛者もいるという。 ソロの演奏も好きである。ジャズアンサンブルはダイナミックで繊細、エネルギッシュでパワーに溢れている。休憩なしの3時間ぶっ通しの演奏会であった。 久しぶりに体でリズムをとりたくなるような、軽快な、血の騒ぐような、ジャズ音楽のライブ演奏を聴いて気分まで若やぎ楽しい。元気も出てきた。次女のライブ演奏を聴くのは初めてであった。仲間と演奏している姿は活き活きとして輝いている。 終わってから長女が予約しておいた渋谷にある「スペイン料理」のレストランへ向かった。次女も少し遅れてやってきて、一緒に揃って食事が出来てよかった。 10時半過ぎに渋谷駅で別れて、息子夫婦は車で門前仲町へ、次女は電車で練馬へ、長女と私は新丸子へ戻った。久しぶりに子供達全員と食事が出来て楽しい雰囲気の夕食であった。 2004/5/9(日)雨 母の日に 今日は母の日。くもり空から雨が降り出した。 例年の慣わしでお世話になっている人へ、新茶を贈るために山形屋(デパート)へ出かけた。母の日だが数日前のような混雑はなかった。 東京に住む娘とお嫁さんから母の日のプレゼントにアートフラワーが送られてきた。プリザーブドフラワー(Preserved flower)といって特殊加工によって生花と変わらぬ美しさを何年も保つことができる花だという。 2004/3/20(土)くもり フランス近代絵画展 鹿児島県民交流センター開館一周年記念事業として、松岡美術館所蔵「フランス近代絵画展」が、今日から4/29まで交流センターで開催されている。 松岡美術館所蔵の37作家・約80点が展示され見ごたえ充分であった。 今回印象に残ったことは 2004/3/14(日) 曇り スペインの3駅同時テロ 3月11日午前8時前後(現地時間)スペインのマドリッド中心部の国鉄主要駅の3つの駅で連続爆発があった。3駅(アトーチャ駅、エル・ポソ駅、サンタ・エウヘニア駅)同時爆破テロで200人近くの死者と1000人以上の負傷者がでたと報じている。通勤客で混み合う列車を標的にした3駅同時テロである。 スペイン政府はスペインのテロ組織ETA「バスク祖国と自由」の犯行と断定している。ETAはバスク地方(スペイン北東部及びフランス南西部にまたがる地域)の分離独立を目的とする組織とある。きょうは、国際テロ組織のアルカイダも関与していると報じている。 2年前の同じこの時期に2人の娘と一緒にスペインを旅行中であった。超高速列車AVEに乗ってコルドバ駅からマドリッドへ移動したが約2時間要した。多分アトーチャ駅に着いて降り立っている。近くに有名なプラド美術館もある。 2年前にテロがあったら、この事故に遭遇していたかもしれないと思うと、ぞお〜っとする。旅行前から治安が悪いと聞かされ、身辺に気を配ったことを思い出した。 スペインでは過去最大級のテロというが、今回のようなテロが起こる土壌があるのだろうか? 2004/2/22(日) くもり時々小雨 「ライカ」のカメラ くもり空から小雨になった。夫はカメラを受け取りに出かけた。 2004/1/1(木) 晴れ 初 詣 船会社に勤める夫は初船が入港する日で、昼前に出勤して船員の人の仕事始め式があった。 夫が戻ってから近くの護国神社へ初詣に出かけた。 夜はおせちとタラバガニのご馳走になった。カニは息子が依頼して送ってくれたものである。生から茹でたタラバガニは、脚肉、カニみそ共に新鮮そのもの、磯の香りたっぷりで例え様もなく美味しい。ご馳走様でした! このページのトップへ2003/12/29(月) 年末それぞれに 宅急便が届いたと東京の息子から電話があった。栃木の塩原温泉に行ってきたという。 閑子さん(お嫁さん)が自分でぼんたん漬けを作ってみたと聞きうれしい。砂糖の分量がわからずネット上で調べたという。6月に結婚したばかりで東京の人である。作ってみようとする心がけは前向きで、手作りする姿勢は閑子さんのお母さん譲りに違いない。 挙式後新宅への引越しがあって、まだ旅行をしていなかった。来年6月新婚旅行へ(イタリア、ミラノ・ローマ・モナコ)行くことに決めたという。殆どマイレ−ジで行けるそうだ。結婚式費用をカード決済したからと言うが、現代の若者はいろいろな特典を利用してちゃっかりと言うか、しっかりしているといえば良いのか・・・。 正月休で帰省中の娘2人は今夜は城山H泊まり、夫は会社の忘年会である。私も娘達と一緒に温泉に入り夕食をして帰ってきた。ホテルの前庭のイルミネーションが見事でロマンティックな雰囲気がする。カップルや親子ずれが散策したりカメラで写真に収めたりする姿が見られ、穏かなゆとりのある年末を過ごしている。 2003/12/24(水) お祝い 今日はクリスマスイブ。夕方の街はラッシュで車の進みも鈍い。 6時から照国神社近くの料亭「天」で夫の叙勲祝いをしてくださる。ここはかって鹿児島の老舗割烹「玉村」の在った隣りでなる。夫はH課長時代に玉村にはよく宴席でいっていた。今夜は夫婦同伴で招待を受けたので私も出席した。 今日のメンバーは夫と同じ高校O・Bで県庁をリタイアーした人4人、現職の人2人、私達夫婦の8人の集まりであった。“気心の知れた連中ばかり集まっています、心おきなく語り橋本さんのお祝いをしたい”とあいさつされた。夫も簡単に挨拶と招待された御礼を述べた。夫はかっての職場、同窓会を通じての知り合いである。 そんなことや、かって私自身も5年間勤務したこともあるので今夜の皆さんの話に違和感がなくよく理解できた。話のやりとりが面白く楽しく笑い転げるような場面も多々あった。掛け値なしで夫の受章を喜び祝ってくださる気持ちが話しぶりから、宴の雰囲気から伝わってくる。夫も嬉しそうで饒舌になっていた。 今夜は胸に温かいものが流れ私にとっても嬉しい嬉しい集まりであった。余韻を楽しむように自然に足は天文館へ向き、山形屋近くまでぶらぶら歩いてから帰宅した。 このページのトップへ2003/12/19(金) 晴れ バスでいねむり? 冷え込みの厳しい日で、この冬初めてコートと手袋を着用した。ホケットにミニカイロもしのばせた。バス停に立っていると北風が頬を刺す。今日はパソコンのレッスン日。準備していく段取りが悪く、予定のHPつくりが進められず年賀状作りをした。 帰りのバスの中で居眠りしてしまった。バスが止まったところではっと目がさめて、外をみやると団地北である。下車するバス停よりひと停留所乗り越している、ここで降りそこなったら終点の北営業所まで行ってしまう。慌てて降りた。 |