![]() 2006/5/2〜5/4 ![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
は じ め に 東北地方は行ったことのないところである。 次女からゴールデンウイークに東北のさくら見に行かない?と誘いがあった。 一瞬、人出の多い時期は避けたいなぁと思った。私が行かないというはずはないと見越している。すかさず、東北地方はこの時期が桜の見頃なのよという。東北と聞いて角館に行きたいとリクエストした。 娘と一緒の旅は、私が東京まで出かけて合流してから出発する。前後泊すると東京在住の子供達と会える。美術館に行ったり、ショッピングしたり、共に食事もできる。普段は離れて暮らしているので語らいうれしいひと時である。おまけ付き旅行のように思っている。 【旅 程】
1. 東京〜角館 5月2日(火)・・・東京駅八重洲北口:8時25分集合 今日から リゾートしらかみ号に乗る 弘 前・角 館・駒 街 道 みちのく味覚紀行3日間の旅の始まりである。 今回は旅行社のツアー(添乗員付き)に参加する。 そのわけは、 ★東北のさくらはゴールデンウイークの頃が見頃であること。 ★混雑期である。コンパクトに効率よく周りたい。 ★娘2人との3人旅で、いずれも東北は初めてである。 私の希望として角館に行きたいと伝えた。 そんな条件に合致したコースで次女が手配してくれた。 集まってみると参加者は15人、予想より少ない。 母娘の組み合わせは私たちばかりで、あとはいずれも中高年の夫婦ばかりである。 今年のGWは休みが長く海外脱出組が多い。若者は今回の旅費ぐらいで近場のアジアへ出かけたのかもしれない。さくら見物もいろいろなコースがあり選択肢が多いことなどが理由であろう。 以前は東北向けの列車は上野発のイメージがあった。東北新幹線には初めて乗る。秋田行きの「こまち9号」は定刻の8時56分に滑るようにして東京駅を発車した。 車窓からの景色は平野が広がり、辺りに山が見えない。関東平野は広大である。 2年前に開通した九州新幹線・鹿児島⇔新八代とは大違いである。こちらはトンネルばかりである。車名は「つばめ」だが、暗闇を走るもぐらのようである。車体は新しいので乗り心地はよい。 停車地は上野、大宮、仙台、盛岡、田沢湖、角館(下車)である。 角館まで約3時間の乗車である。列車での旅は久しぶりである。車窓から遠景を眺められ、車内の空間もあって寛げるのがよい。 仙台で昼食の花見弁当が積み込まれた。行程の都合上、下車するまでの車内で食べるようにということで直ぐ広げた。淡い彩りの花見弁当である。手作りの菜ばかりで優しい味付けである。特製お花見弁当、〜お品書き〜も入れてある。 厚焼き玉子、鯖の照り焼き、鶏肉巻竜田揚げ、海老二色団子、 花しんじょう、菜の花の和え物、紅花包み蒸し、炊き合わせ、 櫻葉もち、ばっけ味噌、春の吹き寄せ御飯、香の物。 ※ ばっけ・・・津軽弁で「ふきのとう」をいう。 盛岡で連結していた青森行きの「はやて」と分離した。 心なしか列車のスピードも落ちてきたように感じた。盛岡を過ぎ、田沢湖辺りに来ると線路の路肩に残雪が目に付くようになってきた。山にも残雪が・・・ 12時12分:角館駅着 2. 角 館(秋田県)@ 角館の駅は小じんまりとしている。 ここからバスで移動する。観光バスは弘前から来ていた。今日から列車に乗る区間以外はこのバスで移動することになる。 最終の3日目、八戸駅から新幹線に乗って東京へ出発するまでの区間になる。 ![]() 今回の旅で、行ってみたい、外したくない所が、角館の町と桜であった。 この旅はさくら見物が主目的である。角館の武家屋敷だけ1ヶ所だけが見学するところである。 “みちのくの小京都”と呼ばれる角館は、城下の町割り、武家屋敷の姿を最もよく残した町だといえる。黒板塀の続く武家屋敷に、城下町の面影が色濃く漂う町並みである。門や塀は残っていても、建物まで残っている城下町はごく少ない。 さくらの名所としても知られている。 町は三方を山に囲まれ、南は仙北平野に開いている地形で、城下町を形成するのに適した場所であった。町の中央の火除け広場(防火地帯)を境に北に内町(武家町)、南に外町(町人町)分かれている。南北2キロの範囲に集中している。 北側の“内町”は武家屋敷で深い木立で覆われて、おっとりと落ち着きのあるたたずまい。南の“外町”は商家がびっしり埋めている活気のある町並み。異質な空間が対照的である。 関ヶ原の戦い後、角館領主となった芦名義勝が元和6年(1620年)に町づくりを開始した。 芦名家断絶後は京都の公卿出身・佐竹義隣が角館を領有し、大いに京風文化を取り入れた。 同時に京のしだれ桜を角館に移植したので、現在、広々とした武家屋敷の庭には樹齢200年以上の巨大な枝垂れ桜が多く、開花期には桧木内川(ひのきないかわ)堤のソメイヨシノと美しさを競う。 電線も取り払われ、道幅も広く、江戸時代の雰囲気をそのまま伝える武家屋敷群は、昭和51年(1976年)「重要伝統的建造物群保存地区」に選定された。 元和6年(1620)秋田藩の支藩として城下町を形成した。以来380年、町の形成は大きく変わっておらず、今も歴史の生きている町でもある。 武家屋敷も見学できるところが多い(有料と無料がある)。 6軒が残り、一帯は国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。600mの武家屋敷通りには長屋門、薬医門、黒塀板がつづく。 【角 館 歴 史 村・青 柳 家】 何ヶ所も見る時間がなかったのでガイドさんお薦めの青柳家(有料500円)を見学した。 角館歴史村・青柳家は角館を代表する武家屋敷(幕末の石高は204石で組頭役だった)で、立派な薬医門が目印。 目印の薬医門を撮ろうと思ったが観光客が群れて、まともに撮れない、斜めからやっと・・・ 中に入ると、広大な敷地に寄棟茅葺屋根の母屋、武器蔵、文庫蔵などが残り、江戸時代の史料などを展示するミニミュージアム、秋田郷土館、武家道具館などがある。 ![]() ここで秋田蘭画があることを知った。 秋田は江戸から遠い奥州にありながら、文化交流は辺境の地ではなかった。 一つは北前船の存在である。 瀬戸内海・日本海を経て奥州の地へ上方文化を運ぶ北前船は、時として長崎から京へ送られた南蛮の品々をも遠く秋田の地へと運んだのである。 京との関係が濃い久保田藩、角館支藩は積極的に上方文化を導入し、藩全体が上方文化に浸る機会に恵まれていた。 また平賀源内の蘭学との関わりもある。 蘭学書物に描かれた詳細な挿し絵は、その正確さで人々を驚嘆させた。 蘭学の創始者である平賀源内は洋画の研究もしていた。 久保田藩主・佐竹義敦(よしあつ)は江戸藩邸で生まれ、江戸文化教養を身につけていた。後に秋田蘭画の担い手となった。 角館の地に生まれた小田野直武は、年少期より画才を発揮し、15歳で久保田藩の御用絵師から狩野派の画法を学んだ。浮世絵画法、琳派画法、漢画画法等、種々の画風を学んだ。 ![]() 平賀源内が藩主に招かれた時、直武は出会った。 源内から西洋画の陰影法・明暗法を教えられた。 源内から教授された洋画技法は、小田野直武を通して洋画を志す角館城代・佐竹義躬や藩士・田代忠国が集まり、秋田蘭画隆盛の基礎が築かれた。 3年間、江戸の源内の下で洋画を学んだ直武は、杉田玄白の「解体新書」の図版を描いた。 鎖国下の日本で、しかも江戸から遠く離れた東北の地で、花開いた秋田蘭画の世界は直武夭折(享年32歳)で短い開花期を終えた。 小田野直武が表紙絵と図版を描いた初版の「解体新書」は庭園内「ハイカラ館」に展示されている。 敷地内に小田野直武の胸像が立っている。彼の生家がこの近くにあったという。 胸像近くのパネルには、小田野直武の一生がわかりやすく説明されている。読みながら初めて知ることが多く驚きであった。 角館は、城下の町割り、武家屋敷の姿を最もよく残した町だといえる。門や塀は残っていても、建物まで残っている城下町はごく少ない。
3. 角 館(秋田県)A 〜武家屋敷通りのしだれ桜〜 青柳家の見学がすんだら、自由散策、さくら見物である。 城下町の面影を残す武家屋敷一帯はしだれ桜が見事である。樹齢200年を越える古木もあり華麗なたたずまいである。通りをそぞろ歩きしている人が多い。 桜は満開で観光客が多い。人力車に乗って優雅にさくらを愛でている客も見られる。風情のある景観である。黒塀、しだれ桜、人力車は、あたりの風景にうまく溶け合っている。 しだれ桜は少しの風で揺れる。なんともいえぬ情緒ある風情である。観桜客もひっきりなしに垂れ下がった枝越しに写真を撮っている。花に引きたてられ皆さん美人に映っている。 通りに桜皮細工センター、小間物屋、樺細工の土産物屋、レストラン等が並ぶ。 桜の皮細工製品(茶筒、盆、額)が多く、センターでは手作りしている実演場面も見られた。 皮の模様が変化に富んで表面は艶がある。土産に靴べらを求めた。 もう少し時間が欲しい。じっくり見たいが、限られた時間枠内では仕方がない。もう一ヶ所の桜の名所、桧木内川の河畔へ移動した。
〜桧木内川(ひのきないがわ)の河畔のソメイヨシノ〜 こちらはソメイヨシノである。川を挟んで両岸にびっしり咲き乱れている。桃色の帯状を呈している。土手を歩くと両側の桜が重なりトンネルとなっている。歩くと辺りをぱっと明るく照らす。花が密生しているので質感・量感がある。 河川敷では宴も始まっている。 この後バスは秋田市内へ向かった。 4. 秋 田 @ 乗車しているバスは弘前から配車されている。 ガイドさんも弘前出身で普段は津軽弁で訛っていると話す。これでも今日は標準語に近い言葉で話しているよという。時どき訛りの口調が出るが、ひびきは優しい。車内に東北の地図が貼ってある。説明しながら言葉は訛っても字は訛ってないからねと面白い。 この旅の全行程のアウトラインを聞いた。ユニークなルートである。 秋田県と青森県を通過する。西側の日本海側と東側の内陸部で2回にわたって両県をまたぐことになる。日本海側では五能線に乗車する。今回の楽しみの一つである。 雪国の暮らしも聞いた。 4月から10月までが観光シーズンである。冬期はスキー客以外訪れる人は殆どない。 盛岡・秋田間の国道46号線は吹雪きよけの防雪機が設置してある。信号機は縦型が多い。雪がさっと落下するから、横向きだと雪が積もる。なるほど・・・納得。 〜千秋公園のさくら〜 千秋公園は秋田市の中心部にあり、かっての秋田藩主佐竹氏20万石が築いた久保田城跡。 石垣や天守閣がない土塁のある平山城として知られる。 公園は1896年造園家・長岡安平により日本庭園として設計され、漢学者・狩野良知により命名された。日本の都市公園100選に入っている。 園内には800本を越すソメイヨシノが見事に咲き競う。さくらまつり期間はライトアップもされる。惜しいことに4月30日で終わっていた。1時間余り園内のさくらを見て回った。全視界のなかにさくらが広がる。薄暮の空を薄桃色にほんのりと染める。日暮れ前にさくらをたっぷり眺めることが出来た。夜はゆっくり温泉に浸かり今日の疲れを癒すことにしましょう。 久保田城表門 厳重な守りを固めていた本丸の正門で、木造2階建て茅葺の櫓(やぐら)門。絵図や発掘調査資料をもとに再建した。 公園内には佐竹資料館、秋田市立図書館明徳館の「石川達三記念室」、平野政吉美術館(藤田嗣治の作品を所蔵)も見学したいところであった。さくら巡りが主目的のスケジュールでは無理であった。次回は訪ねたい。
5. 秋 田 A 今日の泊まりは秋田市郊外に在る「秋田温泉さとみ」である。 300坪の大浴場と140坪の露天風呂が楽しめる広々とした温泉宿である。 部屋の窓から、下を流れる旭川、両岸には淡い桜色が薄暮の中に霞むように映る。 夕食時間まで間があったので大浴場へ急いだ。大きな露天風呂が2ヶ所ある。日本庭園を眺めながら湯煙の中に身を沈めると浸ると旅の疲れも吹っ飛ぶ。優しい心地よさが全身を包みこむ。 全身を「すべすべの膜」で覆われたような感触がする。 泉質は含硼酸重曹食塩泉。 肌が艶々、すべすべになる「美人の湯」、 ぽかぽかの温もりが持続する「あったまりの湯」として親しまれていると宣伝している。 女性に人気の宿であるらしい。 夕食はグルメ会席(日本海の鮮魚・山菜・塩汁・きりたんぽ鍋)となっており、期待できそうである。 広間に家族ごとに高脚付き膳が並べてある。 アルコール駄目家族である。香りだけでもと、娘たちは秋田の銘柄高清水「高清水」の冷酒、私は白のグラスワインで乾杯した。 北の食べ物には珍しさと憧れをもつ。 お膳の上を目で追った。 手前に「御口上」が添えてある。読んでみる。 「本日はグルメプランのコースをお選びいただきまして、誠にありがとうございます。私は太平洋の海水に産声をあげ、育ちました。現在8歳でございます。丁度食べごろかと存じます。 ご覧のように大変生きがよろしいので、安心して食していただけますし、味のほうも大変よろしいかと思います。1尾はお造りに、もう1尾は焼くのがよろしいかと思います。女性の方にはグラタンもお勧めの一品でございます。 できるだけ早いうちにお食べいただいて、又残さずに食べていただければ私も本望でございます。」 今夜は伊勢えび2尾使ってあるメニューである。 1尾は片身ずつグラタンにして2枚も盛られている。活き造りは後で運ばれた。 今は桜と山菜が旬のシーズンである。それらを使いイメージした料理は珍しく、うれしい。 とりわけ秋田の「塩汁・しょっつる」「きりたんぽ鍋」に注目した。 目に焼き付けデジカメに収めた。 伊勢えびの造りとは別に魚の刺身もある。かまくらの中に刺身が見える。触ると冷たい。ひと目で秋田とわかるアイディアである。 「塩汁・しょっつる」 民謡「秋田音頭」にも唄われているハタハタを使ってしょっつる仕立の料理。一度は本場で食べてみたいと思っていた。漢字で、ハタハタは「鰰」と書く。 しょっつる鍋仕立てを、取り分けて熱々が運ばれてきた。 ハタハタ、豆腐、じゅんさいなどが入っている。スープの色は濁りのない透明色。塩味であることが分かる。臭みのない、旨味のある薄味、上品な味わいである。汁ごときれいに頂いた。 「きりたんぽ鍋」 秋田郷土料理の代表格の、きりたんぽ鍋も楽しみにしていた。 もともと,「きりたんぽ」は秋田県北部の猟師「マタギ」の料理であったと言われている。 比内鶏、きりたんぽ、野菜類を煮込んだ鍋である。スープの出しは比内鶏からとっている。 30年前、初めてきりたんぽを食べて以来大好きになっている。しかし、南の鹿児島では見かけない。冷凍物は好きになれない。久しぶりにホクホクとした食感のきりたんぽを食べた。米どころ秋田ならではの味である。スープもいい味加減でおいしい。 蛤の潮汁も絶品である。 和食は出しが命である。どの料理からも出しが丁寧に取られていることが窺える。 北の料理は珍しい。目に焼きつけ、舌で覚えようと欲張って頂いた。 休む前にもう一度、露天風呂に浸かった。月を見ながら風情のある情景である。 「しょっつる」 魚醤「しょっつる」は本来「ハタハタ」を原料としたモノであるが、乱獲による原料(ハ タハタ)の減少から、近年ではすっかり少なくなり、「いわし」や「コウナゴ」などの代替え原料になっているという。色が薄い、ハタハタが白身の魚であるからに違いない。金沢の「いしる」も 魚醤だがこちらは茶色に色づいている。
6. 青 森 @ 2日目の朝である。8時40分、「秋田温泉さとみ」を出発する。 今日の行程は長い。宿にも夜着くスケジュールである。(魚鐘) 秋田市を出発して日本海沿いに北上して青森県に入る。夜には東部の内陸地を県越えして再び秋田県へ舞い戻ることになる。 今日一番の見所、白神山地を目指してバスは走る。ほぼ日本海沿いに北上するので海が臨める。至る所に冬の暴風雪除けが見受けられる。沼が多い。秋田県はジュンサイの産地である。夕食の吸い物や、しょっつるにも使ってあった。 「秋田名物八森鰰々(ハタハタ) 男鹿で男鹿ブリコ 能代春慶桧山納豆・・・」 と秋田音頭にも唄われている八森を通過した。やがて青森県である。 【白 神 山 地 (世界自然遺産)】 白神山地は、青森県西南部と秋田県北西部にまたがる、約13万ヘクタールの山岳地帯である。世界でも最大級のブナ原生林が広がる手つかずの貴重な自然である。約17000ヘクタールが世界自然遺産の登録地域。 国の天然記念物のクマゲラやイヌワシ、ニホンカモシカなどが生息している。2000種の昆虫、白神山地に咲くアオモリマンテマなど貴重な草花が生息する、動植物の楽園。 青森県の十二湖からのルートで白神山地に入っていった。 高い山で1230メートル、ブナの木が多い。 ガイド――「ブナは漢字で書くと?」 一乗客――「木篇に無」 ガイド――「ブナは水分が多く木材にならない。字のとおり何にもならない木だから?と書くのよ」 本当のような話に乗客も笑っている。 「右手を注目してください。日本キャニオンが見えてきます。」 はじめ何のことだか分からなかった。少し白い山肌が見えてきた。バス上の目線からでは注意して見ていないと見過ごしてしまいそうにちょっとだけである。白くゴツゴツした岩肌だという。 大げさじゃない? おらが国自慢かな? その名の由来は、巨大な白い岩肌がアメリカ・コロラド高原のグランドキャニオンを思わせるところから。
【十 二 湖 (津軽国定公園)】 お目当ての十二湖、今日のハイライトの青池に行くためにバスを降りた。なだらかな山道を登っていく。 十二湖は、33の湖沼群からなるブナの森に囲まれた美しい公園である。中でも青池は十二湖を代表する名湖である。 元々33あった湖が、崩(くずれ)山が崩れて、塞き止めてしまった。 崩山の頂上から眺めると、小さい池は森の中に隠れ、大きな池だけが12見えたことから「十二湖」といわれるようになった。 落ち葉を踏みしめながら歩いていくと左手に湖が見えてくる。繋がっている湖もあって数は数えにくい。最後にちょっと上ったところに青池の表示が出てきた。 【青 池】 「あっ!」 水の色を見た途端、おもわず息を呑んだ。 言葉で表現できない色である。心の中まで染み込んでくるような深い色合いである。 青インクを流し込んだように真っ青な湖水を湛えている。その色は神秘的で、湖底にはブナの木が静かに横たわり、太陽の光によって池の青さが変化する。 青池は白神山地の西側の山腹にポツンと丸く開かれた直径45m、深さ9mの紺碧な青い水の湧き出す池である。その水の透明感は神秘的で、昔から有名である。水の青色は白神山地特有の澄んだ青い色を発する水の分子の性質による、原生自然の色である。 静寂の杜の中で、じっと見ていると、吸い込まれそうなほど美しく神秘的な印象を与えてくれる。妖しげにさえ感じる。湖底まで見えそうな透明度、木漏れ日から射す陽光が反射して湖面はキラキラと光っている。 青池の手前にある沸壺(わきつぼ)の池も素晴らしい。 池の底からこんこんと白神山地の伏流水が湧き出している。透明感のある青い水を湛えており、青池と並んで十二湖屈指の神秘的な美しさである。周辺のブナやミズナラの古木との景観も絵になる。 少し登山道の階段を上ったところで、視界が明るく開けた。ブナの原生林が広がっている。ステップには滑らないようにチップ材が敷いてある。 ブナの自然林で、若い木から老木まで生い茂っている。お行儀のよい木立ではないが手つかずの森がいい。手を大きく広げて深呼吸した。大自然からのプレゼント、澄んだ空気がおいしい!! 下り道、あちこちで可愛らしいふきのとうを見た。鹿児島では自生のものはなかなか見られない。 【サンタランド白神】 昼食はサンタランド白神で摂った。 サンタランド白神とはなんだろう?と思った。 世界自然遺産である白神山地の主峰・白神岳の麓に位置し、クリスマスのムードを一年を通して感じられる夢いっぱいのサンタクロースワールドである。
珍しいフィンランド直輸入品が販売されている。フィンランドからやってきたサンタクロースと会える。この日も一緒に写真を撮る子ども・・・大人までもいる。 サンタランド白神は、青森県岩崎村(現在は深浦町)がサンタクロースのふるさとであるフィンランド国ラヌア郡と姉妹都市の締結をしたのを機に計画・建設された。 昼食後十二湖駅へ向かった。 これから、一度は乗ってみたいと思っていた五能線に乗車する。 7. 青 森 A
十二湖駅へ着いた。 駅の売店をのぞいてみた。土地のものはないかしら? 袋詰めにした山菜がかごに盛ってある。山の多いこの地域は、きっと山菜の宝庫に違いない。 ぼんな、ギョウジャニンニク、山わさび、うど、こごみ、あざみ、たらのめ・・・・・ 珍しい山菜が多い。新鮮で安い。1袋150〜250円。 近くに住み、今日帰宅するのであれば、あれもこれも欲しいものばかりである。 「ぼんな」は、見ること、名まえを聞くことも初めてである。 いつもの好奇心が黙らなくなってしまった。試してみたくなった。明後日帰鹿することは承知のうえである。「ぼんな」は是非とも欲しい。ギョウジャニンニク、山わさびも握ってしまった。新聞紙にくるんでもらった。 駅のホームに、リゾート白神「?」編成が入ってきた。 楽しみにしていた五能線に乗車する。乗ってみたいローカル線として鉄道ファンも多い。 五能線は全長147.2キロ。秋田県・東能代駅と青森県・川部駅を結ぶ路線である。海と山、津軽平野の詩情あふれる景色が楽しめる。 五能線は鉄道写真撮影ポイントとしても知られる。海岸線ぎりぎりに走る列車や、雄大な岩木山をバックに走る光景が撮影されている。絶景ポイントは徐行運転してくれる。夕陽ラインでは、夕陽のビューポイントもある。日本海に沈む夕陽が見られるというが、昼間の時間帯で残念であった。観光列車のうれしいサービスである。 「千畳敷」では10分停車した。列車を降りて岩畳まで行ってみた。 「日本の夕景百選」に認定されている千畳敷は、寛政4年(1792)の地震によりできた岩浜。その昔、殿様が千畳の畳を敷き酒宴をしたといわれる岩棚が広大に続いている。 奇岩と波しぶきが日本海に似合っている。太宰治の文学碑も建っている。 車内イベントも行われている。 鯵か沢駅〜五所川原駅間で「津軽三味線の生演奏」が聴けた。女性2人の奏者である。太棹の力強い演奏、心を揺さぶる津軽三味線。津軽の景色を眺めながら聴くことが出来た。展望ラウンジ(先頭列車)で演奏して車内にマイクで流している。津軽弁「語りべ」実演もあったが車内では聞き取れなかった。よく分かりにくい方言に鹿児島と青森があげられる。 JRもローカル色を取り入れた企画を催行している。車中も変化があって楽しい。 冠雪の岩木山も車窓から見える。列車からではよい像はなかなか捉えられない。 川部駅で進行方向が変わって弘前へ向かった。 【弘 前 公 園】
弘前駅に着くとバスも到着していた。これから弘前公園の桜見物である。 人出が多い。直ぐ渋滞に巻き込まれた。堀沿いの歩道の桜も満開で水面に映って美しい。早く城閣のある公園へ入場したい! 弘前は津軽10万石の城下町。国内屈指の桜の名所として知られる弘前城がシンボル。3層の天守閣の美しい白壁が城跡一帯の公園の景観美を引き立てる。春は2600本の桜が咲き乱れる「弘前桜まつり」、今がその時である。 5時近くなり、陽も薄くなってきた。急いで公園を目指した。目に映るものは桜のオンパレードである。城を背に咲く桜は風情がある。日本の春である。広い公園内は桜と松の色が調和している。しだれ桜とソメイヨシノが入り混じって桜花爛漫である。桜をお堀の水が水鏡となって映している。花吹雪も舞ってちょっと感傷的に! 展望台からの岩木山がきれいと聞いて立ってみた。夕陽で逆光であったが写真を撮った。モノトーンの写真は余韻があって、かえって想像を掻き立てられる。お気に入りの写真に出来上がった。 二の丸を見学する時間(5時までに入場)がなく残念。これも次回へ見送り。 日も暮れかかり、一路今夜の宿である湯瀬温泉へ。弘前から1時間半ぐらい要するという。 暗くなると景色も見えないのでお休みタイムとなった。 青森県はりんごの産地として知られている。県全体が産地と思っていた。ガイドの話では“りんごの産地は津軽地方だという、南部地方では殆ど作っていない”と聞いて、意外な感じがした。私の認識不足? 「わけ」があった。 青森県は、江戸時代、津軽藩と南部藩に分かれ文化風土にも違いがあった。 気候については夏が短く冬が長い冷涼型に属しており、津軽地方(日本海側)と南部地方(太平洋側)ではおおきな違いがある。 特に太平洋側に吹く偏西風(やませ)のため、低温と小雨がつづき冷害にみまわれるやすくなることから、農産物の分布では日本海側の水稲やりんごに対し、太平洋側では根菜類(ながいも、にんにく)が主流となっている。「やませ」については社会科で習っている。 居眠りなどしていたら、今夜の宿・湯瀬温泉(八幡平)の「姫の湯ホテル」に到着した。 続く 8. 青 森 B 昨夜は湯瀬温泉のホテルに泊まった。 旅のはじめ、「湯瀬温泉」の文字を見て、どこにあるのか見当がつかない、 これまで聞いたことがない、どの辺りにあるのだろう?と思った。 八幡平と聞いておおよその場所が分かり、冬の樹氷で有名なところであることを思い出した。 八幡平は秋田県と岩手県にまたがり、青森県にも近い位置にある。 昨夜の宿は、秋田県鹿角市(かづの)、八幡平から十和田にぬける途中にある。 朝目覚めて窓を開けてみると周囲は山ばかりである。遠山にところどころ白っぽく見えるのはきっと桜だろう? 今日の行程も忙しい。8時40分に宿を出発した。 秋田県側から十和田湖へ向かう。途中の湯瀬渓谷のあたりはこの時期でも残雪が深い。ブナや栃の木が多い。発荷峠(別名99曲がり峠)を超えて十和田湖湖畔へ着いた。 【十 和 田 湖】
十和田湖を一望できる一番のビューポイント・発荷(はっか)展望台へ上がった。湖の色に魅せられてぐるりと見渡した。素晴らしい眺めである。風もない好天に恵まれ、湖面も穏やかで、満々と青い水を湛えている。遠くの八甲田連峰の尾根もよく見える。 冠雪の八甲田を背にする十和田湖、澄んだ空気、潮目のように見える湖面を眺めていると喧騒の日常とは別世界である。 十和田湖は二重カルデラ湖で周囲44km。水深27mで東京タワーの高さに匹敵する。透明度も10メートル。秋田県の田沢湖、北海道の支笏湖についで3番目の深さ。 湖の周囲の、ここにも、あちらにも・・・・ふきのとうが。北に来ていることを肌で感じる。 十和田湖の湖上遊覧船に乗る。秋田側の休屋から乗船して青森の子の口(ね)までおよそ50分で巡る。テープで遊覧説明が流されている。水の色も変化して、見返り松付近は水色のきれいなところと案内している。 緑色がかったブルー色である。昨日見た青池の色と似ている。湖上で釣りをしている人の姿も見える。コイ、フナ、ワカサギ、ニジマスなどがいるという。 光の屈折もあるのだろうが空気のきれいなところは水の色も透明感がある。心地よい湖上遊覧であった。 船を下りた子の口から焼山(昼食する)間で約14q、奥入瀬渓流が続く。今回は車窓からの眺めだけである。さまざまな瀬を見ながらブナなどの広葉樹林の中を走る。右に左に目まぐるしく滝が現れる。車を止めて写真撮影、散策している。初夏や紅葉時期に歩いてみたいところである。 旅の楽しみの一つにその土地の郷土料理がある。 南に住んでいると北の食べ物に憧れる。 昼食にせんべい汁が出た。お膳の上に丸型の白い米せんべいが乗っている。鍋に火がついてから、せんべいをちぎって入れてくださいと言う。 鍋料理にせんべいを入れる?変な感じがしたがこの地方の料理である。きりたんぽ鍋のきりたんぽがせんべいに代わったと思えばよい。スープにさっと溶けてとろんとした食感である。珍しく温まって美味しい。 〜バスの中でガイドさんに聞いた津軽弁〜 体の部分ですとヒントがあったが見当もつかなかった。 さいごの「とさゆさ」は車中爆笑の渦! あずまし(あんずまし)・・・気持ちがいい おとげ・・・あご へちょこ・・・へそ もちょこちゃ・・・くすぐったい あくど・・・かかと とさゆさ・・・どこに行くの湯さ この旅最後の桜を見る十和田市へ向かう。 【駒 街 道】
十和田市は旧十和田市と旧十和田湖町の合併により平成17年1月1日に誕生している。 官庁街通りは愛称で「駒街道」と呼ばれ市民憩いの道で「日本の道100選」に選ばれている。通りは桜一色に染まっている。 長さ1kmの道に500本の桜並木が続く。歩道両側に奥入瀬渓流をイメージした水の流れや、さまざまな馬のオブジェが配置され、桜を際立たせて壮大な絵画のような美しさだ。ライトアップされた夜桜も美しいという。 この日も満開の桜の中、人出が多く、公園内は花見の宴で賑わっている。 全国に桜の名所は多いが知られていないところも多い。駒街道もそうであろう。訪れる機会に恵まれ、今回はツアーでよかった。官庁街の通りに満開の桜が彩りを添えている。優しい町である。 東北の桜を愛でる2泊3日の旅も終わる。一路八戸駅へ。 16:05発、新幹線はやて4号に乗って帰京の途へついた。 9. ま と め 南に住んでいると、北の地には知らないことがありそうで、憧れの気持ちを持つ。 今回の旅でも、いいことが待っていそうなそんな期待感があった。 次女からゴールデンウイークに東北の桜を見に行かない?と誘いがあった。未だ行ったことのない東北地方である。直ぐに飛びついた。こうして2人の娘との3人旅が実現した。 初めての東北は、見るもの、食べるもの、聞くこと、すべてが珍しく、新鮮に映った。 短い時間であったが、それなりに、自然、気候、風土、文化の違いを感じることが出来た。 特筆することは 行く先々天候に恵まれた。気温も鹿児島とさほど変わりなかった。その年々で開花時期が違い、気まぐれ開花の桜である。角館、千秋公園(秋田)、弘前、駒街道(十和田)のいずれも満開の桜花爛漫であった。満開時期とピタリと一致した。幸運であった。 東北の桜の名所の本数は半端じゃない。高いところからの眺めは桜のじゅうたんを敷き詰めたように広がりがある。淡い色調、スケールの大きさに圧倒された。花の色と香りに誘われてその上に横たわり天を仰いでみたい。北国の冬は寒く長い。寒さに耐え春を待って一気に開花した桜の木は、絢爛豪華な花ごろもをまとい人を惹きつける。北の国の桜をたっぷりと満喫した。 ツアー旅行はかけ走りでゆっくり見る時間がない。国内ではしたくないところだが桜は待ったがない。見頃を逃したらいつチャンスが巡ってくるか分からない。 知らない土地は、ツアー旅行も広く浅く網羅されていて、アウトラインを知るにはもってこいである。予習ができたようなものであると思えばよい。もっとじっくり見たいところは、次回に自分で計画すればよい。東北は魅力あるところである。他のシーズンに、違う場所も訪ねてみたい。 |