駆け足四国めぐり

   旅紀行へ 

かずら橋

日 程

行            程

4/11

(日)

鹿児島北IC==(九州自動車道)==鳥栖JCT==(大分自動車道)==別府港〜〜(フェリー)〜〜三崎港==(松山自動車道)==道後温泉()

4/12

(月)

松山==(松山・高知自動車道)==桂浜・坂本竜馬歴史館==祖谷かずら橋==大歩危・小歩危==琴平温泉()

4/13

(火)

ホテル==善通寺==(松山・高知自動車道)==八幡浜港〜〜(フェリー)〜〜臼杵港==竹田==(九州自動車道)==鹿児島着


610分前に目覚めた。 

“あっ、寝過ごした、ちょっとまずいな”と思いながら、化粧もそこそこに取るものも取り敢えず身支度をはじめる。気は急く。

集合時刻の6時30分まで照国神社に着くだろうか?朝食をする間もなく飛び出すようにして家を出る。どうにか間に合ってやれやれと胸を撫でおろす。バス3台の周りには乗車手続きをする人が並んでいる。 空席がありそうなバスを目で追って2号車の前に並んだ。

鳥居の先に連れのFさんの顔が見えたので手を振った。

乗車してFさん手作りのまだ温かいおむすびを戴きやっと一息ついた。

この旅は東郵便局旅行会による団体旅行で2年に1回催行されている。費用は加入している簡易保険の旅行積立金から支払われるので参加費は要らない。

参加者は100人、中高年者が多い。大多数は女性で、なかには夫婦、男性1人の人もいる。私は今回で2回目の参加である。

旅行催行は東急観光、バスは南国交通である。バス3台に分乗して照国神社前を定刻どおり7時に出発した。

今日からバスと船を利用して23日の駆け足四国めぐりの旅である。

一日目は、バスと船を乗り継いで鹿児島、熊本、大分、愛媛の4県をまたがる行程で道後温泉に到着した。10時間要している。

ガイドさんはヴェテランのOさん、アクセントは「あんべが(按排)がよぉ↑」と、しり上がりのおもいっきり鹿児島訛りである。

今回は車内で面白い会話が飛び交いそうな予感がしたが見事に的中した。乗客全員が鹿児島の中高年の人ばかりである。とあればガイドさんも・・・しゃべり方には多少緊張感も解かれ、親近感と気易い部分もあろう。鹿児島弁を織り交ぜて話しても微妙なニュアンスが分かってもらえるだろう・・・というおもいがあったに違いない。

一日目は鹿児島から愛媛県の道後までバスと船を乗り継いで行くので終日乗り物道中である。九州自動車道はトンネルばかり多く変化がない。ヴェテランガイドさんは話題も豊富で、自分の失敗談を交えたりして客を退屈させること無く、車内は笑い声が絶えない。

その1) 熊本の不知火地方(三角)はデコポンの産地である。

東京の人が「三角()みかん」と書いた段ボール箱を受け取って「とうとうみかんまで掛け合せで三角形のものができるようになったたのだろうか?」と言ったという。

その2) バスのドライバーが他所の県の給油所に行って

「がんぶい、入れっくいやい」 それを聞いた店員はチンプンカンプン。

(満タン) (入れてください)

車内は笑いの渦、お腹を抱えて笑った。おおよその意味は理解できても、とてもとっさには喋れそうもない。いや地元でもわかる人のほうが少数派だろう。

久留米ジャンクションから大分自動車道に入った頃から車窓の景色も変わってきた。あちこちの電柱にかちガラスの巣が見られる。どうして電柱に?何か習性があるのだろうか?危ないな。九州電力もショートしたりして大変なようだ。玖珠周辺は沿道に辛夷(こぶし)がたくさん植えられている。まだ木は小さいがそれでもかわいい花を付けている。車窓からは車のスピードに流されて、まるで白い蝶々が飛んでいるように見える。遠山に咲く桜もピンク色に濃淡があり、新緑の色と入り混じり、やさしい色が一面に広車窓がっている。暖かい陽の光も、山の色も、春を包み込んで、目にやさしく、気持ちも和む。眩しく感じる。

山間部を走る自動車道で山、また山、山の連続だが、人里周辺へ出てくると・・・・車窓からすももの花、菊桃、はな蘇芳、八重桜、いろいろな春のやさしい、はな色を存分に楽しめた。日本には四季がありうれしい。季節のうつろいゆく様を五感で確かめることが出来る。今の時期のはなを眺めながら、やわらかな春の陽ざしを浴びながら、大自然の山並みを見ながら歩くと気分爽快だろうなぁ。バスの中からでは空気と風を肌で感じることができずにちょっと物足りない。車窓からたっぷり、存分に、色とりどりの花や緑の山並みを満喫した。

別府の温泉街を通り抜けて12時過ぎに別府港に到着した。関西汽船にはさんふらわーが係留している。私が乗船するのは宇和島汽船である。豊予海峡を隔てて愛媛県の西端にある三崎港まで2時間10分で航行する。種子島へ行くぐらいの時間と距離と考えればよいだろうかと思って乗船した。バスを降りて船室へ上がった。

カーペット敷きの広間で昼食の弁当とお茶が配られた。船内で座っての食事はお出張り気分がする。隣の人と話しながらの旅は、人の顔が見え、声が聞えて、のどかな風情がある。年齢を言われてびっくり、独り参加の婦人は80歳、服とアクセサリーも品よくまとめて話す素振りも若々しい。旅行は最後かもしれないと言いながら、海外旅行もし終わったと屈託がない。旅に出かける高齢者は体も元気だが、気分も前向きで若々しく明るい。きっと心身ともに充実しているのだろう。

デッキに出てみたが豊予海峡上は四方海ばかり広がり何も見えない。船室に戻ってみると横になっている人が多い。早朝の出発、バスに乗りっ放しだったので、脚もゆっくりと伸ばせてお昼寝モードである。2時間あまりの乗船は、揺れもなく程々の距離と時間で、体を休めることが出来た。たまにはローカル色豊かな船旅もいいものだと感じる。

三崎港で下船して松山自動車道を経て一路宿泊地の道後へと向かう。

愛媛はみかんの産地として知られている。日当たりのよい南斜面になるのか、段々畑が、山裾から頂きに向かってのびている。みかんや袋かけした枇杷の木が多くなってくる。枇杷の袋の色がオレンジ色で、最初、遠目には、みかんの木と見間違ってしまった。

松山の市街地に入る頃は(ひ)も薄くなってきた。
松山城は車窓から
遥か遠くに夕空を背景に浮かんだシルエットを見ただけであった。入場時間が17時までということで、スケジュール上の時間制約で無理であった。40年も前に一度来たきりで印象も薄くなっている。今回を楽しみにしていたので残念である。
道後温泉

ホテルは道後温泉街の中にあった。夕食まで小1時間余裕があったので、街も徒歩圏内のように思い、チェックインしたらすぐ出かけた。まず道後温泉本館“坊ちゃんの湯”へ。商店街近くに風格のある木造の建物がどっしりと建っている。
入浴だけでもできると聞いたが、夜の宴席までの時間にゆとりがなく外観を見ただけで入浴できず終いで悔しい。団体旅行は自由行動に時間の制約があるのは仕方のないことだが、見たいところを見れない不自由な側面がある。




2日目はホテルを8時出発。

今日の見どころは、高知の桂浜と坂本竜馬記念館見学、平家落人伝説の里・祖屋のかずら橋渡りである。

石鎚山SAで降りたが肌寒い。手前の山向こうに見える石鎚山の頂には、薄っすら雪が残っている。西日本一高い山だそうで屋久島より高い。

桂浜近くの水田はすでに田植えが終わっている。ここは二期作地帯である。

松林のあちこちに墓地が点在している。何か意味あってのことだろうか。
桂浜に着いた。太平洋の大海原を見下ろす公園に高さ
13メートルの竜馬像が太平洋の怒涛を眺めて立っている。幕末の志士竜馬は果たして今の日本を予見したのだろうか。汗ばむような暑さで、海辺まで降りて砂浜や波打ち際を素足で歩いている人達がいる。夏のような強い陽射しが反射して、海面が、白く、きらきら、眩しい。海辺には白い波頭が打ち寄せている。松林越しに見る晩春の桂浜もいいが、月の名所・桂浜は、やはり秋の季節が風情ありそうで似合っているようにおもう。

坂本竜馬歴史館を見学後昼食を済ませた。

その後一路、私にとって「今回の旅の目玉」である祖谷へ向かう。はじめて訪ねる祖谷は、平家落人の伝説の里である。祖谷は西祖谷山村と東祖谷山村があり今回は西に行く。高知自動車道を大豊ICで降りて、国道32号から入っていく。九十九折りの細い道で、両側に山が迫り、秘境ムードが漂う祖谷渓を登っていく。目指すは祖谷川に架かる「かずら橋」である。


【西祖谷山村】

祖谷川は名峰・剣山のふもとを源流に祖谷渓を流れる川で、約20キロの渓谷が続き、急カーブを曲がるたびにダイナミックな風景が目の前に現れる。





遠く、山の奥深いところに点在する家や、春を知らせる
桜・桃の花のやさしい色が、山肌を包んでてわずかに人里を思わせる。
ほとんどが手つかずの大自然の息づかいが聞えてくるような空間である。
紅葉のシーズンも素晴らしい秋の表情をみせてくれるだろう。
 【ボンネットバス】

かずら橋手前で昔懐かしいボンネットバスに乗り換える。さらに道は細くなる。乗車するや否なこれまた古い歌「♪ 田舎のバスはオンボロ車、タイヤは傷だらけガタゴト走る。それでもお客さん我慢をしてる、それは私が美人だから〜〜〜〜〜♪」が流れてきた。
素晴らしい自然景観は、祖谷への旅情を誘う。
右へ急カーブしている下り坂を少し降りたところに「かずら橋」が架かっていた。
【かずら橋】
平家の落人が源氏から逃れるために考案したといわれる日本3奇矯の一つ。国の重要有形民俗文化財に指定されており、長さ45メートル、幅2メートル、野生のシラクチカズラのつるで編んだ吊り橋。川面からの高さは14メートルで、風が吹くと横にゆらゆら揺れ、足を一歩踏み出すと縦にギシギシと揺れスリル満点。安全のため3年に一度架け替えられる。
すぐ横に平行してコンクリートの橋、永久橋も架かっている。こちらは日常生活用でかずら橋は観光客用である。以前は祖谷地方に1
6のかずら橋が架かっていたが、西祖谷村ではこの一箇所だけになっているという。この日の水量は多くなかったが、川原の石は急流に洗われて白くひかって見える。
いよいよかずら橋わたりである。第一歩を踏み出した。両手交互に寄りかかるように持ちてのかずらを掴み、へっぴり腰で我ながら情けない格好である。ギシギシとかずらの軋む音がして幅2メートルの橋板は隙間が広く14メートル下の渓流が見え脚が竦(すく)む。首からさげたデジカメも誰かの「休憩!」と声がかかった時にやっと1枚パチリ。やはりぶれていた。先頭が左側を行ったらほとんどの人が何となくそれに従ってしまい、バランスが悪いと思ってもとっさに右側へ移動できない。案の定まん中では揺れた。
右側ではガイドさんも初めて渡るといい、「こわぁ〜い! スカートが見えるのでは? 今、後悔していますー」それを聞いて「誰も見てないよ、見えないよー」と合いの手が入る。絶景を楽しんだりスリルを味わうような余裕はなかった。ひたすら手元・足元を見るだけ、やっとのおもいで渡り終えた。大多数の人が渡った。風もなく穏やかな日でよかったが、ちょっと風の強い日だったら躊躇したかもしれない。

大きく秘境の地の空気を吸った。
【琵琶の滝】
すぐ近くに「琵琶の滝」があった。垂直に落下する滝と深く丸い滝壷、それを隠すように杉の巨樹が立っている。落ちる水が白い布をかけたように見えることから、別名「布引の滝」とも呼ばれている。平家落人伝説の名所の一つである。
平家一族の哀話を秘めた美しい滝である

滝のそばには「琵琶の滝の由来」説明書きがあった。
「源平の戦いに屋島で敗れた平国盛が安徳天皇に奉じ祖谷に潜入し、この地に土着したということは古来史実としてみられる現在では、学問的に究明せられ全国的に数多い平家伝説の一つにかぞえられている。その落人たちが昔日の古都の生活を偲びながら滝の下で琵琶を奏で、つれづれを慰めあったと伝えられている。」

 【大歩危・小歩危の奇観

バスを乗り換えて国道32号までくだる。吉野川に沿って大歩危・小歩危など8キロの渓谷が続く。
約2億年前の地層で、白褐色の奇岩が続くV字渓谷は見事である。
春ならイワツツジ、秋は紅葉と四季折々の表情を見せるという。遊覧船も出ている。







「大歩危・小歩危とは」
大またで歩いても小またで歩いても危険と言うことから名付けられた。吉野川が四国山脈を横切るところに岩が水蝕されてできた渓谷で、車窓からも岩の彫刻美、奇観をみせてくれた。
この渓谷に並行するようにJR土讃線が走っている。

戻りも同じくボンネットバスに乗って帰る。ちょっと上って最後の急カーブを左へ曲がろうとした時である。ドライバーが「お客さん、バックしますから後ろを見て下さい」「きゃっー」黄色い声がとんだ。私は最後部座席に座っていた。運転できない私にどうしろと言うのと思いながら後ろを見ると、バスは曲がり角にピタリとはまりバックするゆとりはなさそう。下へ落ちたらバス諸共である。冷やりとした瞬間さっと左へ曲がってドライバーの笑い声がした。いつもの客へのサービスらしい。「あぁー、びっくりした」と車内は安堵の笑いに変わった。
この日はかずら橋渡り、戻り便のボンネットバスと2回も冷や々、ドキドキ・・・・ちょっと心臓に悪いですよー。でも、間違いなく忘れられない想い出になります。

平家ゆかりの資料館も見たかったが、時間のゆとりがなく心残りであった。近くの山里に一泊したいと思った。もっと祖谷のことを見たり聞いたりして、秘境の大自然に包まれて悠久のときを肌で感じてみたい。日常を忘れ心身ともに癒されることだろう。




野球の山びこ打線で有名な池田高校横を通り、池田町をかすめて宿泊地の琴平へ着いた。

金毘羅さんのすぐ近くの大きなホテルである。金丸座(旧金毘羅大芝居)がある土地柄だろうか通路で役者らしい人たちとすれ違う。
夕食後ホテル主催のビンゴゲームでなんと2等を当てた。讃岐うどん1か月分の景品をいただいた。賞品紹介の時、荷物になるものはお断わりねーと話していたら自分に回ってきた。同室の人にも少し
おすそ分けした。

3日目は7時50分出発で慌ただしい。
75番札所の善通寺に寄り、ほぼ同じ逆ルートで一路鹿児島への帰途についた。


四国までバスと船の旅だったので往復の乗り物時間が長すぎた。その分滞在時間が短く、端折って見ることになり充たされないものがある。でも、ツアーでは、あまりないコースと思うので参加してよかった。

祖谷へは瀬戸内海側の高松市、徳島市から入ったほうが交通の便もよさそうである。
徳島はもう一度訪ねたい。神戸から大鳴門橋を通って、大塚国際美術館、鳴門市ドイツ館、渦潮など見たいと思っている。

中高年者の旅にしては、皆さん元気で病人も出なかった。むしろ張り切っている人が多かった。
杖をついている人も、皆に遅れをとることなく階段のぼりも達者なものである。
朝4時に起きて金毘羅さん参りをしてきた人もいた。
あのパワーにあやかりたい!

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