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ペテロパヴロフスク要塞&聖堂
ネヴァ川対岸の車窓から撮影
要塞はサンクト・ペテルグルグ発祥の地。
ピョートル大帝がスエーデンを相手にした北方戦争の最中にスエーデン軍から守るために建設した。
聖堂はサンクト・ペテルブルグで最も高い建物。ピョートル大帝や歴代ツァリーが埋葬されている。また暗殺されたロマノフ王朝最後のニコライU世とその家族の墓もある。 
エカテリーナ宮殿
ピョートル大帝が皇妃エカテリーナのために建てた宮殿。
帝政時代にツァールスコエ・セロ(皇帝の村)と呼ばれ、ソ連時代はプーシキン市と名付けられが、近年旧名に戻った。
ナチスが撤退した時、町は破壊され、重要な文化財も略奪された。修復作業によりほぼ当時の姿を再現している。2003年に琥珀の間も復元された。内部は現在も修復工事が続いている。
ピョートル宮殿
サンクト・ペテルブルグの西南のペテルゴフ(現ペトロドヴォレッ)に建つピョートル大帝の夏の離宮。
「北のヴェルサイユ」を目指し建てた。
正面テラス前の階段を流れ落ちるている滝から、まっすぐにフィンランド湾へ続く水路は、噴水・彫像とともに観光客に喜ばれる。
アレクサンドルの円柱
エルミタージュ美術館と旧参謀本部にはさまれた宮殿広場の中央に立つ。ナポレオン戦争(祖国戦争)勝利を記念して造られた。何の支えもなく自重だけで立つ1枚岩の花崗岩
エルミタージュ美術館
ロシアが世界に誇る超一流の美術館。
ロマノフ王朝の歴代皇帝が住んだ「冬宮」と4つの建物が廊下で結ばれ構成されている。
絵画、彫像、発掘品のなどのコレクション300万点。レオナルド・ダ・ヴィンチの「リッタの聖母」「花をもつ聖母」、ラファエロの「聖家族」、レンブラントの「フローラに扮したサスキア」(新妻をモデルに描いた作品)、マチスの「ダンス」など見どころが多く、ゆっくり時間をかけて見たい。
ピョートル大帝像
サンクト・ペテルブルグ生みの親と言われるピョートル像
イサク聖堂
ロシア正教の聖堂、ロシア正教独特のドーム葱坊主型ドーム
ソ連時代の宗教弾圧で破壊され、内部は修復中
琥珀の間
ナチスによって破壊され全部持ち去られたが、サンクト・ペテルブルグ建都300年祭に寄せて2003年に復元した。
多様な色と大きさの琥珀の石片を寄せたモザイク版を内装に使い、壁面4面すべて琥珀が張られ、精緻な琥珀細工は見事!!
寄木細工の床(エカテリーナ宮殿)
木材豊富なロシアにふさわしく、エルミタージュ美術館、ピョートル宮殿ともに、床は寄木細工で張られていた。
陰陽影のいろいろな模様があり、脚にも優しかった。
エカテリーナ宮殿の「大ホール」
晩餐会や仮装舞踏会、謁見などに使われた。
ガラス製の扉や窓が無数にあり18世紀には「光のギャラリー」と呼ばれていた。窓と窓の間の狭い壁に金箔を施した彫刻文様の枠にはめられた鏡が取り付けられている。金箔を施した木彫は絢爛豪華。リンデン(菩提樹)材が多い。
エカテリーナ宮殿中央階段
宮殿内の見学路は中央階段から始まる。
マホガニー材の階段、壁や天井は、白い塑性文様が施されている
貴族が使用した便座(ピョートル宮殿)
リンデン材の精緻な木彫に金箔が施されている。
広場で遊ぶ子供(姉弟?)
ネフスキー大通り近くの昼食をしたレストラン前で撮影。
中庭にテーブル、椅子があり、老夫婦、若いカップル、親子連れでランチやお茶を飲んだり楽しそうに過ごしていた。
エカテリーナU世の玉座
玉座の間に玉座とと乗馬姿の絵が飾ってある
ブリバルチスチカヤホテル(宿泊したホテル)
ホテルの裏側から朝食前に撮影。
立っている直ぐ後ろはバルト海へ続くフィンランド湾である。海面に昇るサンライズを暫らく眺めていたが、刻々と変わる茜色のグラデーションが引き込まれそうに美しい。
運河めぐり
巡り運河になっているネヴァ川と運河の間を
遊覧している観光遊覧船。
        〜歌姫とピアニスト〜
サンクト・ペテルブルグの夕食したレストランで。
 イヴモンタン似のピアニストはロシア民謡、日本の歌を演奏。歌姫はオペラ「トスカ」のアリア“歌に生き恋に生き”、「カルメン」の“ハバネラ”、ロシア民謡、日本の歌を透明感のある伸びやかな声で披露してくれた。思いがけない趣向にであってうれしく充たされたディナーとなった。
バレー「白鳥の湖」を鑑賞
ロシアでも古い、小じんまりした劇場、「アレクサンドリン劇場」でバレー「白鳥の湖」4幕を鑑賞した。
気品のある色使いの衣装、美しい踊りに魅了された。

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