倉敷探訪




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(2003/9/19〜9/21)

倉敷行きを思い立ったのは1本の電話からである。

 「お母さん、休みが取れるので倉敷へ一緒に行かない?ロシア旅行と近い日では無理かな」と 東京で働いている次女から誘いがあった。行ったことのない所である。日頃離れて暮しているので、一緒に旅してゆっくり語り美味しいものを食べるのもいいなぁと俄かにその気になっていた。

彼女は今年一杯で失効するマイレージを使ってしまいたい意向である。私にもマイレージポイントはないかと尋ねたが、生憎フリーで乗れるまでには至っていなかった。「大原美術館には是非行きたい、あとのプランはあなたにお任せよ」

「鹿児島・岡山間は1日2便しかなく、21日割切符の予約期限迄に余裕がないの。飛行機の予約だけは早くしておいて。一両日中にインターネットからティケットレスで予約を済ませてください。」
これまた性急な話である。

私はネット上から航空券予約をしたことはなく初めてtryすることになった。パソコンの画面と睨めっこしながら時間はかかったがOKが出て、JALから予約完了メールが来た。

“やった〜!!お〜っ、やれば出来るじゃないT子さん”とおもわず にっこり。これでちょっぴり自信もついた。実はうまく出来なければかっこ悪いなと内心穏かでなかった。娘には直ぐ出来たような顔をして予約済みのメールを送った。


こうして週末を利用して2泊3日の倉敷行きが決まり、岡山空港で落ち合うことになった。

T.まず岡山へ

鹿児島空港へ向かうリムジンバスに乗っていると、次女から電話がかかってきた。

慌てたような様子で「ぎりぎりまで仕事をしていたら定刻10分前に羽田に着き予定便に乗れない。後の便の空席があったのでそれで必ず行くから、着いたらそのまま岡山空港で待っていて」という。

岡山行きの飛行機は50人乗りぐらいの小型機で、それに満席、ちょっと頼り気なく感じたが無事定刻にランディングした。岡山は鹿児島より都市規模は大きい筈と思うが、空港は小さい。大都市、大阪と福岡の中間地点に位置するからだろうかと推測される。

娘の便は定刻より10分遅れで到着した。

ハンドバッグにミニボストンだけの身軽な格好である。

外はすっかり暗くなり小雨も降っている。

私は急ぎたい気持ちもあってタクシーに乗ろうとしたら、 娘から

「まだバスがいるのにもったいない」と一蹴されさっさと乗車券売り場へ走って行った。
倉敷までの最終便のバスにどうにか間に合った。

車中で彼女の近況や旅行プランを聞きながら、お喋りしながら行くと、バスで40分の道のりも短いものに感じた。

倉敷では「大原美術館」見学と「町屋」を見ることを軸に行動しようと話し合った。3日目に時間が許せば岡山の「竹久夢二美術館」も見学することにした。


U.伝統的な蔵屋敷とモダンが漂う町・『倉敷』へ

倉敷駅に着く頃には雨も止んでいた。
駅周辺は外灯やイルミネーションで明るい。

倉敷市の町は駅をはさんでおおまかに「チボリ公園」と「倉敷美観地区」に分かれている。

チボリ公園のイルミネーションが輝き観覧車や建物の空間が浮かび上がり、奥行きのありそうな広い町の感じがする。

宿と街は美観地区側にあることを確認して歩き始めた。

8時を過ぎている。
お腹はペコペコ。腹ごしらえが先である。

岡山の名物でまず思いつくのは「ままかり」。ひし子いわしほどのサイズで、腹開きまたは丸のままのものを酢〆や酢漬けにしてある。

瀬戸内海は海の幸に恵まれ、魚の種類・漁獲量も多いのだろう。知っているだけでも春を告げる明石のイカナゴ、岡山のママカリと地域限定版のような魚がある。


倉敷に来て穴子とママカリを食べずに帰る訳にはいきません。夕食の場所に選んだのは地元でも評判が高い日本料理の「ひがし田」。

暖簾をくぐると、店内は太い梁と土壁に囲まれた民芸調でしっとりした雰囲気です。間接照明の灯りが蔵をイメージした店内をやわらかく包んでいる。お品書きを眺めてこの店名物の「穴子の押し寿司」と「ママカリ寿司」をメインにしていただく事に決める。

店構えはこじんまりとしてカウンター越しに料理人の腕や手の振りまで見える。
カウンターには主と話しながらおいしそうに酒を飲んでいる客もいる。

調理場からは料理をこしらえているリズミカルな什器の音が聞こえてくる。湯気がたち上がり、おいしそうな複雑なにおいがたち込め客席の方まで流れてくる。然も空腹ときているから堪らない。

ここから先は私の嗅覚の出番である。出てくる料理をイメージしながらワクワク、ソワソワ、うずうずしながらひたすら待つだけの時間は堪らなく好きである。

出された一品が期待にたがわなければ目も口元もいっぺんにほころんでくる。
こんなときは多少財布の紐が緩んでも許してしまう。

穴子は肉厚で、ふっくら、ほっこり、やわらかく新鮮そのもの、ママカリも新しいものを〆てあるので青光りしている。 酢の〆加減がなんとも言えず程よく、食も進みいくらでも入っていきそうです。

少しお酒を嗜むことができるともっと楽しい食事の雰囲気になるのでしょうが・・。間合いも入れずにガツガツ食べる客は、料理人にとってはきっと興ざめでしょうね。

奥の調理場からは母親と娘さんらしい女性が客席との間を往き来して、甲斐甲斐しく立ち働いている。家族だけで店を切り盛りしている様子が伝わってくる。

熱々のマツタケの土瓶蒸しは、その旬の香りと湯気が、雨でちょっと冷えた体を温めてくれた。ちょっぴり贅沢した気分になりました。

「ひがし田」の夕ご飯は期待にたがわずご馳走様でした。


【倉敷の見どころ

倉敷はしっとりとして落ち着いた町である。

江戸時代に天領地として代官所が置かれ、明治まで多くの船が米や綿花の集散地として物資を積んで倉敷川に出入りしていた。周辺地域の年貢米を集め、海路で江戸へ運ぶ役割を担い商都しても発展した。

この街の景観を彩る豪商の屋敷や白壁の蔵は当時の名残である。
倉敷川一帯は「倉敷美観地区」として今もなお、往時をしのばせるしっとりとした街並みが残っている。

伝統的建造物保存地区の・「倉敷美観地区」

「倉敷美観地区」とは、1979(昭和54年)に国の「伝統的建造物保存地区」に指定された倉敷川河畔周辺一帯を指す。白壁と黒い本瓦葺、柳並木の緑、倉敷川沿いに続く町並みは「白壁の町」の名にふさわしい倉敷らしさのあふれる風景だ。

江戸時代の豪商の倉を今に残す旅館や資料館、大原美術館など、大正・昭和初期の洋風建築の建物が美しく調和している。


古きよき時代の日本の伝統的な街並みを伝える景観は、情緒たっぷりで訪れる人の心を捉えてやまない。

@レトロな洋風建築がある・「倉敷川沿い

テレビや絵葉書でも見る柳並木の掘割の周辺で、土蔵作りの建物に混じってレトロな洋風建築もあり、伝統的な蔵屋敷とモダンな雰囲気も漂う。

ガイドしながらの観光人力車も見える。目の前で小学生らしい兄妹2人が嬉しそうに恥ずかしそうに人力車に乗りゆっくりと動き始めた。その様子を捉えようと両親は後からカメラで追っかけていく。

露店や似顔絵描きの兄さんもおり、川面に白鳥ものどかに遊泳している。観光客もおもいおもいに写真を撮ったり店をのぞいたりしながら切れ間なくゆっくりと遊歩している。

有名な「大原美術館」、重要文化財の「大原邸」考古館等がこの界隈にある。

地元観光ボランティアガイドによる無料案内で観光した。

予約なしの定期コース(2Km、1時間半コース)が1日2回設定されており集まった人数で出発していく。
私達は秋田からの新婚さん、東京からのOLと10人足らずであった。
あらかじめ頼んでおくと個人にガイドを付けることもできる。

70過ぎの男性ガイドは小雨が降っているにも拘らず説明資料を沢山抱えて分かり易く詳しく話してくれた。

瀬戸内地方の耳障りのよい訛りで“この倉敷川から秀吉さんのところへ荷物を運んだんよ“、大原美術館前では首なしロダン像を指し“クビになったんじゃないよ、練習用に造ったんよ”とユニークなガイドさんだ。

郷土を想い倉敷の景観を残そう維持していこうという姿勢が説明の節々に感じられ、その心が伝わってくる。優しい街である。

美観地区入り口から倉敷川までの両側は民芸品小間物などの土産物店がずらり並んでいる。浅草辺りの雰囲気に似ていて古きよき時代の日本の情緒たっぷりです。特産のい草を使った加工品が多く見られる。

A昔ながらの町屋が多い・「本通り

観光客の多い倉敷川河畔が表通りなら、その裏の通りにあり今もここに暮す人が住んでいるのが本通りです。

観光客には裏通りの感じでも地元の人にとっては呼び名のとおり正に生活する場の本通りである。
背の低い民家や商家に電線が絡むように伸びて、ここで暮す人々の生活が息づく庶民的な界隈です。

細い路地に造り酒屋、提灯屋、畳屋、雑貨や、骨董店などが軒を連ね、昔ながらの風情が漂っている。

思わず足を止めてぶらりと店の中を覗いてみたり、ほっとして立ち止りたくなる通りです。子供の頃歩いた小筋通りを想い出させるようなたたずまいです。挨拶や世間話をしながら声をかけて物を売り買いする店が多く人情とぬくもりが感じられる。

そこに生活しながら町ぐるみで200年前の景観を残そう維持していこうという姿勢があちこちに見受けられその心が旅人に伝わってくる。木造建築でその保存は大変だろうが美しい倉敷の家並みを後世へずっと残して欲しい。

倉敷最古・国の重要文化財「井上家」を見たくてもう一度本通りへ出かけた。9月の日差しはまだ強い。前日とうって変わり青空が広がっている。

飴ゆの垂れ紙が目にとまり、小窓越しに“2つください”と声をかけて買う。ビニール袋にストローが添えられT袋100円、冷した飴ゆは汗ばんだ体と喉を心地よく潤してくれる。おばあちゃんを想い出すような懐かしい味がする。
200年前に造られた町屋で、「井上家」もこの通りのなかに違和感なくしっくりと溶け込んで日常生活が営まれている。

どの町屋も、黒い屋根と白い壁のコントラストが際立って美しい。

時代劇映画の撮影セットにできそうな家並みをあちこちで目にした

時の流れが止まったようである。

目にする辺りはまるで昭和初期のような町並みで当時の暮らしの息づかいが聞こえてくるようである。

自分もその時代へ迷い込んできたのではと錯覚するような景色である。

しかし此処は紛れもなく倉敷の人が平成の今を、普段の暮らしを営んでいる所なのです。

B重要文化財指定の「町屋

3つの町屋「井上家」「旧大原家」「大橋家」は国の重要文化財に指定されている。

内部公開しているのは「大橋家」だけである。
初日に宿泊したホテルの隣にあったので朝食後に見学した。入場料500円。

母屋は入母屋造りで町屋にはめずらしい表門を構えている。200年前に建てられた塩田と金融業で財を成した豪商の屋敷で、手を入れながら今も住んでいる。公開部分は自由に見学できる。
ミニ説明を片手に見たが台所に興味を惹かれる。土公神(おどくうさん)があった。

町屋の特徴と工夫                                                         (大橋家説明より)

   塗屋造・・・ 主屋のように両側面・軒裏などをしっくい仕上げとし耐火的にしたの。

  土蔵造・・・ 米蔵・内蔵のように全体を土塗りしっくい仕上げの耐火的にしたの。

  本瓦・・・ 平瓦・丸瓦を交互に用いてふいた屋根、断熱性がよい。

   倉敷窓・・・ 出格子が入れてあり内側に引き戸をつける、町屋独特の意匠。

通りに面した町屋では祭礼の時格子を外し、店の間に毛せんを敷き、秘蔵の屏風を立て富を誇示した。

   なまこ目地瓦張り・・・米蔵外壁面に張ってあに似ているのでこの名がついた。

   平目地瓦張・・・米蔵内部壁面に張ってあるもの 目地を埋めるしっくいがらないもの                 


C日本初の西洋美術館・「大原美術館

1930年(昭和5年)、日本で最初に誕生した近代西洋美術館。

創設者は倉敷紡績(現クラボウ)創始者実業家大原孫三郎。

ヨーロッパ絵画の数々と日本近代洋画を中心とする美術品が展示される大原美術館は、蔵屋敷と共に倉敷のシンボルでもある。

西洋の19世紀&20世紀の美術・展示の見どころは

ゴーギャンの『かぐわしき大地』 タヒチ島の娘を描いたこの絵を一番楽しみにしていたが、貸し出し中で(アメリカ・フランスへ2004年半ば迄)見られずに残念。

エル・グレコの『受胎告知』グレコの絵はトレド(スペイン)の教会でも見たがこの絵も光の色が神秘的な感じがする。
他にロートレックの『マルトX夫人の肖像?ボルド―』、モディリアーニ、マティスの作品。

ドガの『赤い衣装をつけた3人の踊り子』は衣装の色がパステルの色彩で珍しく感じた。――私のイメージの中にあるドガの「踊り子」の衣装は白い色である。

モネの『睡蓮』はいろいろな所で見るが(最終的には200点余りの作品群)、なんといっても圧巻はパリの「オランジュリー美術館」で見た8枚である。

日本近代洋画のコレクションでは岸田劉生の作品を見たいと思っていた。

特に彼の『童女舞姿』(娘麗子がモデル)だけは是非見たいと思い進んできたが、入り口での様子がおかしい。特別展の会場になっていて、常設展はなかった。

「棟方志功」の「生誕百年記念特別展」(11/3迄)が開催中であった。彼は大原家と交流があり倉敷でも版画作品が誕生している。
――北国の睡り、南国の醒め――のタイトルで開催され、版画・肉筆障屏画、素描、など膨大な作品量の展示である。

以前長女から絵の鑑賞中には話しかけないでと言われたことがある。確かに見る目感じ方は個人差があり十人十色である。それから絵を見る時は自分の感性とペースで見ることにしている。

見終わって“棟方志功の作品を一同にこんなに沢山見たのは初めて、こんなに作品があることも知らなかった”と言うと“私も、彼の全作品見た感じ。よく集めたわね”。

知らずに来たとはいえ、まるで大原美術館に棟方志功展を見にきたようねと話しながら出た。

結局大原美術館ではお目当てのゴーギャンと岸田劉生の2点の作品は見ることができなかった。

有名な絵はしばしば貸し出され本来の美術館にないことはよくあることだ。知らずに行ってがっかりすることもあるが、他のところで沢山の人の目に触れ絵を知る人が広がっていけば嬉しいことである。

美術館見学後に隣接する喫茶店「エル・グレコ」に寄りコーヒーを飲みながら名画の余韻を楽しみたいと思っていた。壁に飾られている『受胎告知』の白黒写真も見たかったが閉店時間(17時)が早く寄れずに残念。


D古い米蔵の面影を残す旅館・「くらしき」

2日目は前日のシティホテルと違い、蔵屋敷の趣がある旅館「くらしき」に泊まった。
徳川時代天領の名残をとどめる旧家・砂糖問屋のあとをひきついで旅館にしてある。

目の前に倉敷川が流れ江戸時代から続いた砂糖問屋の蔵屋敷を残そうと1957(昭和32)年に創業した。

客室はわずか18室である。母屋及び米蔵四棟を改築し渡り廊下でそれぞれつながっている。
決して便利な造りではないが、最小限の改築にとどめ米蔵の名残がある造りのままで古い民家のもつ素朴な雰囲気がある。

1階にはアンティークな調度品にこだわったテラスがあり、庭を眺めながら喫茶が楽しめる。

客が宿に着いたら抹茶を点ててこのテラスで迎えてくれる。蔵を利用しているのでやや暗いが、部屋には採光のためにミニ坪庭が造ってある。

旅館の廊下や部屋の調度品もアンティークが多く、この宿には心憎いほど調和している。部屋にある塵箱も漆塗りのものが何気なく置かれてあり、思わず手にとってみた。

部屋係りの人から“いろいろな所から集めて、昔からあるものを利用しているのですよ”と聞いたが先人の暮らしに思いを馳せ肌にぬくもりを感じる。

客へのもてなしも細かい心配りがなされ、なにより嬉しく感じたことは夕食を1品ずつ部屋へ運んでくれることである。料理は瀬戸内地方の産物を使ってあり、見た目もきれいでその都度デジカメに撮った。

蛸しゃぶは珍しくはじめてであったが、盛り付けも秋の花筏を見たてたような一品で娘も“絵を見ているようね、ちょっと飲める方がいいね”と言いながら下戸母娘は又もお酒なしの夕食となった。ちょっと残念!

運ばれてくる料理の説明では中年女性のきれいな言葉づかいと柔らかい瀬戸内地方独特のイントネーションが耳元に心地よくひびいてくる。今ではあまり見られなくなった人手と時間がかかるサービスをこの宿はこだわりをもって守っているのだろうか。

玄関には下足番のおじさんもいる。傘や下足をさっと揃えてくれる。昔ながらの旅館に来ているようで日常の雑事を忘れ、頭の中を空っぽにして、ゆっくりのんびりくつろげる空間を肌で感じる。そして心身ともに落ち着く宿である。
慾をいうなら、ここに温泉があれば言うことなしである。

景観地区のよさは全て歩いて回れる徒歩圏内にあり、坂も階段もなく平坦地で歩き易いことである。

棟方志功も常宿にしていたそうで色紙も飾ってある。彼は天衣無縫そのものの、飾らないそのままの人柄だったらしい。

オールドコペンハーゲンを再現した「チボリ公園」

3日目は「倉敷美観地区」とは反対側のJR倉敷駅北にあるチボリ公園へ行った。

「倉敷チボリ公園」は1997年デンマークのチボリ公園と提携して誕生した。

19世紀のオールドコペンハーゲンの町並みを再現してあるという。

デンマークといえばアンデルセン、アンデルセン像が公園入り口、園内にも建っている。

昨夜のライトアップされた景色を夜目遠目に見た感じと違い、一目でヨーロッパの雰囲気が感じられる。

公園前広場で大道芸が催されている。日曜日で見物客も子供連れの家族が多い。

園内は子供にはよい遊園地かもしれないが、人工的に造られている感は否めない。

夕方6時の便で帰るので急いで岡山まで戻り「夢二郷土美術館」へ行った。

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美術館は彼の生まれ故郷の岡山に、生誕100年を記念して建設され「後楽園」の隣に建つ。

そして今年は生誕120年になる。

竹久夢二の絵については何となく色っぽい哀感のある絵のイメージをもっていたが、

展示作品を見ながらその生き様は、女人を好みながらも必死に生き燃焼したように思えた。

今回の旅の誘いで娘が“海外もいいけれど国内旅行もいいよ”と言った。確かである。

ここ10数年足腰がしっかりしているうちに、遠い海外から優先して旅してきた。

国内はいつでも行けると思って先送りしてきたが、これからは機会あるごとに出かけてみようと思う。

日本独特の情緒に触れ気持ちが和むのは、ちょっと年とってきたかな、否、深層では日本人だなぁと意識して

いるのかもしれない。日本人であることの感性は失いたくない。

はやりの言葉の「スローライフ・スローフード」ともいえる、ほっとくつろげる町倉敷であった。

2004.1.11記

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