2006/9/22〜9/24(3日間) トップページへ 旅紀行へ |
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この夏の猛暑には、ほとほと疲れ果ててしまった。 少し暑さが遠のいたら、温泉に浸かってゆっくり過ごしたいという漠然としたおもいがあった。 特定の行きたい場所を決めていたわけではない。 「絶景の上高地・深緑の白川郷を巡る3日」 《 江戸時代さながらの街並みの妻籠から日本3名泉とうたわれる下呂温泉へ。
九州各地から名古屋空港に参集して上高地・白川郷へのバスツアーである。 ちょっと盛りだくさんの気もしたが、ぐずぐずしていると時期を失すると思い、ネットですべての手続きと申し込みを済ませた。名古屋までの往復航空券の座席指定予約も出来た。 1週間前に送られてきたスケジュール表にも、観光地についての詳細はない。 何一つ問い合わせることもしないままであった。 とはいうものの、日にちが迫り、ちょっとは予備知識も必要と思い、1冊の簡単なガイドブックを購入した。雑用に追われ、あまり読む間はなかった。 1日目 こうして旅は始まり、鹿児島空港を飛び立った。 機上からの青空と雲海は素晴らしい! 空模様は、幸先もよろしいようで・・・ 鹿児島8時発の便で中部国際空港へ。 9時10分、定刻より5分早く到着した。 到着ロビーが遠い。なかなか到着口の文字が見えてこない。 どこの空港でも鹿児島発着のゲートは端に在ることが多い。 大きな空港で初めてのところは距離感がつかめない。 ひたすら下を見ながら、歩くエスカレーターを突き進んでいった。 10時35分、バスは各地からの乗客43人を乗せて、昼食会場のウエスティンナゴヤキャッスルへ向かった。九州各地からの人ばかりかと思っていたら、北海道、仙台からの参加者もいた。 ガイドの説明 航空会社企画のツアーは少人数のことが多く、こんなに大勢の参加者は初めてという。 バスはほぼ満席状態である。座席は不公平にならないようにしたい。日替わり指定席になることをご了承ください。 10人足らずのこともあるが、コースに上高地が組まれてから人気コースになっている。 今日は前から2列目の席であった。 ウエスティンナゴヤキャッスルへ着いた。 昼食会場の11Fレストランから目の前に名古屋城が見える。 ナゴヤを象徴する名古屋城は一目瞭然。 緑の屋根と金の鯱、周りの堀と森の緑が調和して美しい! お洒落なコース料理を食べながら素晴らしい眺望である。 昼食後、今日の見所、歴史の面影を残す宿場町「妻籠」へ。 名古屋から離れるにつれ高層ビルは遠ざかり、視界に黄金色の稲穂の田園風景が広がってくる。稲刈り風景も見られる。稲の丈が短いように感じる。 妻籠は長野県であったが、平成の大合併で岐阜県中津川市に編入された。 江戸と京を結ぶ中山道は、山深い木曽路を通ることから木曽街道とも呼ばれていた。中山道六十九次のうち江戸から42番目となる妻籠宿は、中山道と伊那道が交叉する交通の要衡としてにぎわっていた。 明治になって鉄道や道路が新たにつくられ、宿場としての機能を失い、妻籠宿は衰退していった。昭和になって経済成長の中、江戸時代の宿場の姿を色濃く残している町並みが見直され、保存運動がはじまった。 妻籠の人は町並みを守るために家や土地を「売らない・・貸さない・・壊さない」という3原則をつくり、ここで生活しながら、江戸時代の町並みという貴重な財産を後世に伝えている。 【妻籠宿本陣】 島崎藤村の母の生家で、明治になるまで本陣、庄屋を兼ねて勤めていた。現在は南木曽町博物館になっている。 【脇本陣奥谷】 代々脇本陣、問屋を勤めていた家で、島崎藤村の初恋の「ふゆ」さんの嫁ぎ先でもある。 平成13年、国の重要文化財に指定された。 町並みは徒歩圏内に在る。ゆっくり散策できる。江戸時代をそのまま取り残されたような家々が軒を連ねている。旅籠、味わい処、お土産やが並ぶ。 木曽路はすべて山の中というが、あたりは物音も聞こえず、江戸時代へタイムスリップしたような空間が存在する。 木材の豊富なところで木工製品が多い。栗の産地で栗きんとんなど栗製品のお菓子が並んでいる。歩くと汗ばむ。栗ソフトクリームと冷たいほうじ茶で小休止。 脇本陣奥谷と歴史資料館は、中に入って見学した。 藤村70歳時の直筆の額、初恋の「ふゆ」さんへ送った風炉などが展示してあった。 妻籠郵便局をのぞいた。 資料館も兼ねており、明治4年の郵便箱(黒い木製)から、見慣れた赤いポスト(角&丸型)まで展示してある。 妻籠の町並みを版画プリントした官製はがきが売られている。これに書いてここで投函すると妻籠の消印で届く。書く暇はなかったので町並みはがきを数枚購入した。 戻ってから、局内を撮影した写真で気付いた。「長野県木曽郡妻籠郵便局」と縦書きしてある窓口の木札が写っている。局の表には「妻籠郵便局」とだけ横書きしてある。 ガイドの説明では、妻籠は岐阜県中津川市になったと聞いたが? 地元の人には違和感はないのかもしれない。余計なことに気付いたのでしょうか? 今夜の泊まりは下呂温泉である。 途中、「花街道」の表示があったが、街路樹に「百日紅」の木が多く植樹されている。色とりどりの百日紅が左右の視界に流れていく。車窓からはなかなかカメラに収めることが出来ない。土地によって街路樹の種類は違うが、岐阜県は百日紅が顕著である。
無色透明でやわらかな湯は、肌がスベスベになる。スベスベ膜で被われ温まった。 心地よい疲労感でぐっすり眠った。 2日目
下呂温泉は、飛騨川を挟んで、両岸の川沿いに温泉街が集まっている。 宿泊した水明館はJR高山本線の下呂駅近くである。 朝食前に宿近くを散歩した。 下呂大橋を渡るとせせらぎの小径と称する散策路が続いている。 傾斜のあるせせらぎの流れは、白く音をたてて飛騨川へ注ぐ。チャップリンの像があったが、この地とどんな関わりがあるのだろう? 野口雨情歌碑は見損なった。 橋を引き返して下呂駅近くまで来た。高山方向に走る列車が通過するところであった 春は飛騨川沿いの桜がきれいな所でもあるらしい。 下呂温泉合掌村にも行ってみたかった。此処には、旧大戸家をはじめ、白川郷から移築した10棟の合掌造りの民家や民族資料館などがある。 旧大戸家住宅(国指定重要有形民俗文化財) 切妻合掌造り茅葺屋根、間口21m、奥行12.3m、高さ13m、合掌造りでは最大級、 1830〜40年代に建築された。
今日のスケジュールもタイトである。 ホテルを8時に出発した。分宿している他のホテルで客をpick upして高山へ向かった。 車窓から見る街路樹の百日紅は色鮮やかに映る。
高山は平成17年2月、1市9町村の合併により日本一大きな市となった。人口9万人。 江戸時代の町人文化が息づく町は、碁盤の目のように道路が整備され、飛騨の小京都とも呼ばれている。 町家造りの商家や民家が立ち並ぶさんまち、古い町並みは江戸時代の面影を今に伝えている。
早朝に賑わう朝市は、陣屋前と宮川の2箇所ある。 江戸時代から米市、桑市、花市などの市として発達し、農家の奥さんたちによって野菜がならべられるようになった。新鮮な野菜果物、四季折々の花、手作りの味噌や餅、漬け物類が並ぶ。 もんぺ姿のおばさんたちの素朴なやりとり、純粋な飛騨弁を聞くことが出来る。
宮川朝市を見てまわった。宮川沿い350mにわたり、40点の露店が並ぶ。 この時期に枝付きの枝豆がある!
今日のハイライトはこれからいく「上高地」である。
少しでも上高地での滞在時間を長く取りたいと、朝市に長居は出来なかった。 旅先で市場やスーパーマーケットを眺めることは楽しい。台所を預かる主婦にとって興味惹かれる場所である。旅の楽しみの1つでもある 珍しいものに出合ったり、土地の訛りまじりの会話が聞こえて、見逃したくないと思う。普段と違う所に立っていると実感する時でもある。 高山を出発して上高地までは、奥飛騨の入り口「平湯」でトイレタイムを取っただけである。 車中でガイドに聞いた、飛騨方言のさわりを少し
あれあんな まみやった・・・元気だった そしゃ あばえ・・・それでは さようなら どんびき・・・かえる へんぺ・・・へび へくさむし・・・かめむし かになー・・・かんにんなー、ごめんなー
妻籠出身というガイドさんは素朴で好感が持てる。 俳句の吟行ツアーで、私にも作句しなさいといわれて困った。 とっさに「山だらけ 山だらけああ 山だらけ」と詠んだら、季語がないといわれた。
昨日の上高地情報では人出が多かったらしい。 自然保護のため、上高地はマイカー規制されている。平湯温泉(ひらゆおんせん)か沢渡(さわんど)で、バスかタクシーに乗る事になる。低公害車のバスも走っている。 今日は、祝日と日曜が重なっている。同様な状況が予想される。その間バスの中でじっと待っているより、天気もよい、遊歩道を歩いて行くコースを提案された。 大正池から河童橋までは、徒歩で約1時間で到着するという。 殆んどの人が賛同した。穂高の山が見える方角へ歩いて行ってください。バスは河童橋の駐車場で待っています。 調達してもらった飛騨牛寿司の昼食を持って歩き始めた。 すぐ眼前に大正池が開けてきた。 写真で見るだけであった大正池! まさに、同じ姿、実像が目の前にある。 鏡のように美しい大正池は透明度もよい。岸辺に鴨が上がってくる。人を恐れる気配もない。 大正池は、大正4年(1915)、焼岳の大噴火によって梓川がせき止められて出来た池。 初めのうちはバスの連れから、あまり離れないように歩こうと思っていた。 ところが、遊歩道は、人の切れ間がない。分岐点でどちら?と思っても道が迂回しているだけである。次の分岐点で合流する。 杖を突いた人も遅れることなく歩いている。平坦な遊歩道であるとはいえ1時間も歩き続けることは容易なことではない。その意欲と行動力に敬服する。 ほぼ、遊歩道に沿うように清流梓川が流れている。北アルプスの南部・穂高連峰のふもとを流れる梓川は、エメラルドグリーン、鮮やかな翡翠色のようなところもある。透明度がよく川底まで見える。晴天に恵まれ汗ばむ。 上高地(かみこうち)は、北アルプス南部に聳える槍ヶ岳(やりがたけ)を水源として流れ下ってきた清流梓川(あずさがわ)が穂高連峰と霞沢岳に挟まれる付近に開けた平坦な谷間で自然の宝庫として人気がある。特に、大正池や、河童橋(かっぱばし)から見上げる上流の景色は、日本の国立公園を代表する景観であるといわれる。 田代橋からの遊歩道は梓川の左右にルートが分かれる。 彼は日本アルプスをこよなく愛し、近代アルピニズムをもたらした人物である。日本近代登山の父ともいわれる。 一方、左岸を行くとカラマツ林に沿って遊歩道が伸び、穂高連峰の眺めも良い。 紅葉はまだ見られない。 歩き進んで行くうちに、穂高の山々がズームアップして迫ってくる 1時間ほど歩いて、河童橋まで1キロのあたりで腰をおろした。 穂高連峰全容が見える場所は少ない、このあたりが一番左右見えるポイントと表示してある。清水屋ホテル近くである。汗ばんだ体に川風が心地よい。ススキの穂が揺れる川べりで、梓川の清流を眺めながら飛騨牛寿司を広げた。 牛肉の寿司?どんな味? 寿司飯の上に錦糸卵、その上に薄切りの牛肉が被せてある。 寿司飯の酢が効いておいしい! 寿司と牛肉の取り合わせ、意外に相性がいいのです。
上高地のシンボルともいうべき吊り橋で、梓川の清流に架かっている。 橋の袂の浅瀬に鴨が泳いでいる。子どもが寄っていくが逃げようともしない。人を警戒する気配もみせない 橋の上は人が群れて写真撮影しにくい。渡りきったところに絶好の撮影ポイントがあった。 河童橋から70分の明神池までは平坦な道という。時間が許せば行ってみたかった。 大正池から遊歩道をゆっくり散策しながら河童橋に辿り着いた。 観光センター、土産物、飲食店も並んでいる。 お茶と長野名物「お焼き」を見つけて1個買った。 芯の具は、細かく刻んで熱を通すと見た目は高菜の古漬けの色である 味は辛味もなく調味料の味もない。葉が多いようだが炒めてあるのだろうか? 皮にそば粉が雑じっている食感がする。素朴な味で小腹を充たしてくれた。 30分ぐらい休憩する時間があったので、梓川べりのベンチに腰掛けた。 バスの右手に赤い屋根の帝国ホテルが見える。 朝、上った道を引き返すように高山に戻った。 高山には「古い町並み(さんまち)」と呼ばれるエリアがある。 出格子の窓が美しい町家、造り酒屋など、江戸時代の面影を残す商家群や町家群、寺院群などが立ち並ぶ。城下町の面影を色濃く残す情緒あるエリアである 宿が近ければ、日が暮れてから明かりが灯った町並みを歩きたかった。 このあたりは国の重要伝統的建造物群保存地区になっている。
一刀彫の店を覗いた。飛騨の一位材を使った一位一刀彫の面が掛けてある。年々艶が出るという。小さな「欠伸だるま」を購入した。 日も落ちかかって、「高山陣屋」へ急いだ。 高山城主金森氏の下屋敷の一つである。陣屋とは代官所のことで、徳川幕府の直轄地となり、江戸から代官や郡代が来て、飛騨の政治を執った。 当時の陣屋の建物が残っているのはここ高山だけである。国史跡に指定されている。時間に急かれて掛け足見学であった。 吟味所・御白洲に惹き付けられた。刑事関係の取調室で、拷問も行われた。遠島に処せられたものは唐丸駕籠で江戸に送られた。 拷問に使われた抱き石もある。英語の表示があり、外人さんも興味深げに文字を追って見学している。 今日の宿は4分宿である。「花扇」は私等2人だけであった。 3日目
昨夜は和風の宿で温泉に入って温もりぐっすりと眠った。 4Fの部屋からすぐ下に蓮池が見えている。ほんのり薄桃色に染まった花がかなり咲いている。 昨日から気になっていた。8時に宿を発つので、朝食前に下りていった。 蓮池に柵がないので用心しながら近づこうとする。デジカメに収めたくて足元は二の次になっている。夫は「マムシがいるかもしれないぞ」と近くの棒切れを握っている。 今年は殆んど蓮を見ていない。一箇所にまとまって咲いている蓮に出あってうれしい! ゆっくり写す間がなく、腕前に不安があったが数枚撮れた。 夫は蓮の実に興味があるらしく、2個採ってきて子どものように喜んでいる「幼い頃の郷愁さ、食べたくて仕様がなかった」 今日も道中が長い。夕方名古屋空港でツアーの散会となる。 高山市は宿泊こそしたが、町は掛け走りでしか見ていない。もう少し時間をかけて飛騨の小京都といわれる町並みの風情を楽しみたかった。 「飛騨高山」といわれるが、 折り重なった山々が襞のように見えることから、名づけられたという。 「襞」→転じて「飛騨」となる。 確かに岐阜県は海に面するところがない、島国日本では数少ない県である。 山が多いので木は豊富にある。 「飛騨の匠」が手がける飛騨家具は、重厚感と丈夫さに定評があり、いつまでも飽きのこないデザインが魅力。春慶塗、一位一刀彫など飛騨の匠の技が生きている。 バスは国道を下りて白川街道にはいる。 道は荘川(しょうかわ)に沿っているが、川沿いは桜の名所である。川幅が広くなったと思ったら湖である。ロックフィル式としては東洋最大級の規模を誇るダム湖、「御母衣湖(みぼろ湖)」である。ブルーの湖面が美しい。 「荘川桜(しょうかわさくら)」 樹齢450年余のアズマヒガンザクラ。ダムの湖底に沈む寺にあった桜を荘川沿いに移転している。運搬のため桜の枝を切り、切り口にミツカン酢を塗りながら運んだという。立派に蘇っている。 往く手に合掌造りの屋根が見えてきた。 白川郷・荻町合掌造り集落である。 合掌造り集落を一望できる絶好のスポットがある。
「荻町城跡展望台」 荻町を見下ろす高台にある展望台は、戦国時代の武将の居城があったところ。 今は集落を眺める観光客で賑わっている。 その先に時が止まったような、懐かしい風景、114棟の合掌造りの家屋が望める。 田は黄金の穂がゆれ、後ろに遠く白山も見える。 懐かしい光景に身も心も癒される。 今も暮らしの場として使われている建物、資料館、美術館、食事処が点在する。 家の向きも風向き、日照量を考えて配置されているという。
下って集落の中を歩いた。 公開されている家屋2箇所のうち、長瀬家を見学した。 屋根の吹き替え作業をTVで放送した家である。
1F・・居住部分、生活の場 2F・・家具・什器収納、使用人部屋 2F・・農作業道具収納、養蚕用
合掌造り 釘や金物類を一切使わず、木や竹、和紙など天然素材だけで建てられている。 萱葺きは50年に一度。 萱葺きの屋根を維持するには大変な苦労を強いられているのだろうと感じる。 H7年、世界遺産登録後は見学者が増え、年間約140万人が訪れる。 写真で見る雪景色の白川郷は美しい。今日は歩くと汗ばむ。雪のない山里白川郷、合掌造りの内部も見学した。今もなお、昔ながらの生活が営まれている。
白川郷は、地図で見ると石川、福井、富山県に近い位置にある。 バスは「御母衣湖(みぼろ湖)」沿いを南下するようなルートで郡上八幡へ向かった。 車窓からの眺めも殆んど山間部の景色である。
ツアー一行は、夕方、名古屋空港からそれぞれの地へ戻るる。 郡上八幡での自由時間は、昼食を含め1時間30分となった。 観光ポイントのアウトライン説明はあった。だが、不案内な土地で、中心地の地図を手がかりだけでは慌てるだけである。 郡上八幡は、400年の歴史をもつ「郡上踊り」と名水で知られる城下町。 放映中の大河ドラマ「功名が辻」の主人公、「山内一豊」の妻「千代」は郡上生まれといわれる。 郡上八幡城に行ってみたかったが、時間的に無理で断念。車窓からお城を見上げただけである。 郡上八幡産業振興社のHPに記してある。
賢夫人として名高い山内一豊の妻千代については、近江国坂田郡、若宮喜助の娘とい う説が定説とされています。 初代八幡城主遠藤盛数の娘が千代である。城内にある遠藤家系図の中には「山内対馬 守室(千代)」との記述があり、千代が郡上の生まれであることを証明している史料 のひとつである。 一豊が戦功を得ることができずに帰城した際、郡上おどりを踊って励ました!?ともい われています。 昼食はかけそばで済ませた。 観光の中心はバス停城下町プラザの周辺という。 方向を定めて歩き始めた。宮が瀬橋に出た。 渡ってすぐ右手の「さんぷる工房」に人が群れている。 小筋が多く地図を片手に進んでいる。 「やなか水のこみち」に入った 玉石を敷き詰めた水路沿いにある、風情のある水辺のポケットパーク
「何匹放したの?」 「1匹」 弟はお兄ちゃんの放す手元をじっと見ている。 別名美術館通り、界隈に3つの美術館、博物館がある。
吉田川沿いに歩いていくと、「いがわこみち」に出た。 ここは、用水路で、地元住民に大切に管理され、今も生活に利用されている。 残り時間20分、集合場所の城下町プラザまで引き返す時間もあるので動けない。 宗祇水を見ていない。 吉田川を挟んで「やなか水のこみち」、「いがわこみち」の反対側になる。 「宗祇水」(名水百選) 全国名水百選第1号! 小駄良川のほとりの湧水、水の町を代表する名水。 室町時代の連歌の宗匠として有名な飯尾宗祇が、この水のほとりに草庵を結び、この清水を愛用したのが名前の由来である。 宗祇が和歌の大家である東常縁から古今伝授を受け、その事実ゆかりのある名水が「宗祇水」です。 この東家の末裔(まつえい)が千代であり、近年、東家直筆の古今和歌集が山内家に渡っていたことも有名な史実となっている。・・・郡上八幡産業振興社のHPより 郡上八幡は時間不足で、見る間がなく、ただ立ち寄っただけの印象である。 味 わ う 旅に出かけたら、誰もがおいしいものを食べたいと思う。 飛騨高山を代表するもの食べものは、「飛騨牛」と「朴葉味噌」であろう。 大部分は飛騨特有の風土に根ざしたものである。 朴葉味噌がおいしい理由は、雪深い山間部の高山で長く厳しい冬を越すため、味噌や漬け物の保存食が発達したから。 「そば」や「地酒」がうまいのは、北アルプスの清らかな水があるから。 【飛 騨 牛】 飛騨牛は松阪牛、神戸牛に並ぶ国内有数の銘柄牛。色つやがよく、肉質ともに高品質で豊潤な味わいを楽しめる。 「飛騨牛」は、岐阜県内で14ヶ月以上肥育され、5〜3等級に認定された肉質の牛のみに 与えられる銘柄。 ステーキ、刺身、串焼き、朴葉焼き、飛騨牛寿司(押し寿司)を食した。 「串焼き」は土産物の店先でも、テイクアウトメニュー(1本200〜300円・醤油ダレ味 )として販売している。町並みを散策しながら気軽に食べられる。 同様に「みたらし団子」(1本60円・うすくち醤油味)も、焼きたてを手にしながら町を 歩いている。 【朴葉みそ】 朴葉の上にみそやねぎ、椎茸などをのせて炭火で焼きながら食べる。飛騨の定番メニュー。 【地 酒】 「寒い土地に良酒あり」のことば通り、高山は気候・水・米に恵まれ、独特の地酒を生み出す条件が揃っている。酒好きの人は飛騨料理を肴に美酒を味わいながら満喫できるだろう。銘柄も多いが、地元の人には「久寿玉」が好まれるという。酒は飲めずそのよさが分からず残念!!
土 産 【栗のお菓子】 山の多い飛騨は栗の産地である。 「栗きんとん」、「栗のしぶ皮煮」など、栗を使った菓子製品が多い。 【漬け物】 赤かぶの漬け物が多い。部屋係の若い女性は、大きくなるまで白いかぶがあることを知らなかったと話す。 【どぶろくせんべい】 白川郷特産のどぶろくの風味がする。 【さるぼぼ】 みやげ物店に小さまざまなサイズの「さるぼぼ」が下がっている。 「さるぼぼ」って? 「ぼぼさ」は、飛騨では赤ちゃんのことを意味する。 今も、良縁(猿)、(猿)円満、安産、子宝、魔よけのお守りとして親しまれている。
今回の旅行地は、長野県の上高地を除くと、下呂・高山・白川郷など、ほとんど岐阜一県だけであった。 バスに乗ってガイドの説明を聞いても、主だった地名以外は馴染みがなく、知らないし、分からない。 岐阜県のどの辺りを走っているのか、位置関係もピンとこない。もどかしい。方向音痴に等しい。 頭の中に、軸になる地名・位置がないことに気付いた。 事前にチェックしておくべきであった。 戻ってから地図を広げてみた。 岐阜県は、周りに海のない県であることは解っていた。 どの県と接しているか確かめてみた。 あるわ・・・あるわ・・・・ なんと、愛知、長野、富山、石川、福井、滋賀、6県と隣接している。 日本列島のほぼ中央に位置し、東西は険しい山々に、南北は河川峡谷に囲まれている 海岸線の多い鹿児島に住んでいると、山の自然に触れる機会は少ない。 登山経験は殆んどない。 今回、上高地の大正池から河童橋まで遊歩道を上がった。 穂高連峰を望みながら清流梓川沿いに散策したが、森林浴を楽しみながら、秘境の地に迷い込んだよう感動した。自然を満喫した。 河童橋からの眺め、穂高連峰と梓川が一体となった景観は筆舌に尽くしがたい。 岐阜県最北部、北アルプスに抱かれた奥飛騨地方にも行ってみたい 下呂温泉は泉質もよい、もう一泊したかった。 |