人吉城下町温泉の旅

                             2007/6/20〜6/21

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はやとの風&いさぶろう

人吉旅行を思いたったのは、

6月はじめに鹿児島中央駅で見た1枚のパンフレット、
ちょい旅「臨時直通列車はやとの風車両で行く・人吉城下町温泉の旅」がきっかけであった。

乗車してみたい「はやとの風」、行ってみたい人吉、1泊ですぐ飛び出せそうな内容である。

JR往復と宿泊が付いただけのフリープランである。
出発日は6月20日が最後で、今からでは選択日の余地などない。
行く気になって申し込んだ。

自分の足で自由に歩く旅は楽しい。
ガイドブックを探すが人吉を記述したものは少ない。

やっと1冊見つけて、見るべき所をチェックした。

「はやとの風」は九州新幹線開業と同時にデビューした観光列車である。吉松駅止まりであるが、今回は乗り換え無しで人吉まで行けることもありがたい。

620日(水)、鹿児島中央駅:928分発「はやとの風」に乗車した。
梅雨の最中である。曇がかかっているがまぁまぁの空模様である。

列車の外観はレトロな感じがする。乗車してみると車体は古いが改造してある。内装され中央部分は展望スペースがあり、窓が広くシースルーのガラス張りである。かっての蒸気機関車はクラシカルな雰囲気の観光列車に変身している。はやとの風

腰掛けてビールを飲みながら車窓からの眺めを楽しむ人。わたしはもっぱらデジカメを持ってシャッターチャンスねらい。走行中では思うようにいかない。

列車は見慣れた櫻島を背景にして錦江湾沿いを走っていく。特急列車であるが速さを感じない。

観光列車はビューポイントでは徐行したり、駅の停車中に駅舎見学や写真を撮ることもできる。女性の客室乗務員の説明も親切・丁寧である。   


肥薩線(吉松〜人吉)

鹿児島〜人吉は高速を利用するほうが便利には違いない。

急ぐ旅ではない。「はやとの風」に乗車して人吉の温泉に浸かってのんびりしたいと思い立っての旅である。

肥薩線は、熊本県八代駅から、鹿児島県姶良郡隼人駅までの熊本、宮崎、鹿児島3県にわたる路線距離124.2kmを走る鉄道路線である。明治42年11月に開通した。

今回、肥薩線には人吉はやとの風駅〜吉松駅間を往復乗車した。

標高差のあるところで、この区間にはスイッチバック走行するところが2箇所ある。真幸駅(標高380m)と大畑(おこば)駅(標高294.1m)である。

大畑ループ線は、ループ線の中にスイッチバックがある。全国でもここだけである。急傾斜を登るためにループ線がつくられ、急傾斜地に駅をつくるために、スイッチバックがつくられた。SL時代は、撮影場所として有名なところであった。

圧巻はスイッチバック走行する列車に乗車したことである。初めてのことでワクワクしてじっと座っている間はなかった。徐行して説明があるので目でしっかりと確かめられた。

デジカメを持ってドア越しに運転席を眺めていた。スイッチバック地点で写真が撮れるようにドアを開けてくれた。運悪く雨が降り始めて画像はぼやけてしまった。

人吉〜吉松間は、21箇のトンネルで山をくりぬき、山肌をジグザグに上り下りするスイッチバック、あるいは山をぐる〜っと一周しながら駆け上がるループ方式など、当時の(明治42年11月開通)蒸気機関車で登れる最大勾配(1000メートル走って30メートル登る)の線路である。

そのため途中の車窓は山あり、谷あり渓谷を見下ろす日本一の動く展望台といわれている。日本一の車窓の風景といわれている。

その中で

矢岳第1トンネルは肥薩線で一番長いトンネル(2096メートル)である。

トンネル入り口に石額が埋め込まれている。

熊本県側には、

工事の最高責任者・逓信大臣山縣伊三郎(やまがたいさぶろう)の

「天険若夷(てんけんじゃくい)」=天下の難所を平地のようにした。

宮崎県側には

鉄道院総裁・後藤新平の

「引重致遠(印従遅延)」=重いものを遠くへ運べる。

観光列車「いさぶろう号」「しんぺい号」は2人に因んで名づけれている。

宮崎県側のこの地点から見る展望は、日本三大車窓に数えられ絶景が広がる。霧島連山、天気がよければ桜島が見えるときもある。運がよければ秋から冬の早朝は雲海も見られる。

今回は梅雨の最中、曇り空で、残念ながら往復とも雄大な遠景は見らはやとの風れなかった。

肥薩線で最高地点にある矢岳駅(標高539.6m)を下って、

大畑ループ線、スイッチバックして大畑駅(標高294.1m)へ。

さらに下って球磨川を渡ると人吉駅(標高106.6m)であった。    


球磨川くだり

人吉駅に128分に着いた。

駅を出ると旅館のシャトルバスが待っていた。

宿泊名簿だけチェックして、旅館へ直行する人、荷物だけ預ける人とそれぞれである。

ツアーではないので、添乗員もいない。夕食までは自由行動である。

球磨川くだりをする人もいるようである。

梅雨真っ只中である。球磨川下りは天気次第だと思い、事前に予約しておかなかった。ひとまず旅館に荷物を置いてから昼食に出かけようと思い、バスに乗った。

宿に着き、チェックインをすませた。天気は回復してきている。

宿にある球磨川くだりのパンフレットに目を通した。球磨川くだりには急流コース清流コースがある。所要時間はどちらも1時間30分。それぞれ運行時間も違う。天気と乗船者の人数次第では出ない時だってある。

1時に清流コースが出発する。すでに12時半を過ぎている。

急遽1時の清流コースに乗ることに決め、人吉発船場へ向かった。

明日の帰りのJR乗車時間が決まっている。これを逃すと明日は天気がよくても球磨川くだりする余裕はない。

今朝はおむすび1個を頬張っただけだったのでお腹が空いた。発船場には弁当もパンもない。

仕方ないので手持ちのバナナとゆで卵ですませた。人吉はうなぎの美味しいところと聞いてきたので昼食時に行こうと思っていたが・・・

熊本南部を東西に走る球磨川は、日本三大急流に数えられる激流。1級河川にも指定され、人吉・球磨観光のさまざまのシーンで登場する。球磨川くだり

昔ながらの木造りの手漕ぎ舟15人乗り)に乗船した。

1時発の清流コースは2艘で、人吉城址を目の前にした發船場より出発した。

清流コースを選んだので瀬はないかと思った。ところが1時間30分下るなかに、せせらぎから白波の立つ瀬まで45箇所もあった。船頭の巧みな舵さばきで瀬をかわしていく。見事である。

雨が降った後で水は濁っているが川岸には鷺も遊んでいる。両岸の緑を眺めながら、川風を浴び、ゆっくりとながれる時間の中に身を委ねる。空気もおいしい。どこかの台詞じゃないが「幸せだなぁ〜」

天気は回復して夏の日差しである。帽子を被っていてもじりじりと焼け付くような熱気を感じる。ペトボトルの水は飲み干してしまった。

渡(わたり)で下船した。急流コースはここで乗船して下っていく。夕食時間まで45時間ある。観光もしたいので人吉駅まで戻らねばならない。
最寄のR駅ま
で歩いた。よい便がなかったのでタクシーで人吉城跡へ向かった。                     


人吉市

ガイドブックに、“700年にわたって相良氏の城下町として栄えた人吉市には、城跡や武家屋敷、焼酎蔵などの史跡や建物が点在している。九州の小京都とも呼ばれ、歴史と温泉とせせらぎのある落ち着いた町である。市内には日本三大急流の一つである球磨川が流れ、船頭の巧みな舵さばきによる川下りはスリル満点”

球磨川くだり後、夕食までに観光しようと思いタクシーに乗った。人吉城跡は必見と思い向かったが、ドライバーは予想に反して城壁が残っているだけで中は公園になっているだけですという。

正直な人だろうが、地元の観光PRをしなくていいの?と妙な老婆心が・・・

【人吉城跡】

下車してみると石垣は苔むし、うっそうと木立が茂っている。球磨川くだりで見た外堀の石垣は立派であったのに・・・

石垣にパネルが張ってある。

人吉城は相良家700年の居城。築城の際三日月模様の石が見つかったことから、別名繊月城とも呼ばれている。球磨川を天然の外堀とした中世の山城の形態。

水の手橋付近の石垣のはねだし(武者返し)の建築様式で防火のために造られた。この工法は、函館の五稜郭、江戸湾台場など日本の城で数例見られる西洋式の石垣である。全国でも珍しく国指定史跡に指定されている。

廃藩置県(1871)の後、城内の建物木立は払い下げられ、石垣だけが残っている。

公園へは入らず武家屋敷へ行くことに。パンフレットの図示では分かりにくい。道順を尋ねるついでに、喉も渇いたので近くの喫茶店で一休みする。徒歩で10分と聞いたが結構な距離あった。ぶらぶら歩きながら途中で道を尋ねて辿り着いた。

【武家屋敷】武家屋敷

武家屋敷とあるからには屋敷群があるのだろうと思ってきた。ところが現存しているのは門だけである。屋敷は相良藩主が休憩所としていた建物を移築したものである。

この土手町一帯に多くの武家屋敷が立ち並んでいたが、現在はほとんど消滅してしまい、ほぼ当時のままの姿で現存するのはこの旧新宮家屋敷だけである。

武家屋敷の正面に建つ門は堀合門(ほりあいもん)といい、人吉城の建築物で唯一残っている。人吉城が廃藩置県で取り壊される際に新宮簡(しんぐうたけま)氏が当時の藩主、相良頼基公から拝領したもので、現在人吉市の重要文化財に指定されている。

門の後ろに建つ茅葺の家には、西郷隆盛が宿泊した部屋がある。

西南の役・田原坂の戦いで大敗北し西郷隆盛は人吉に入った。

人吉に入った西郷軍は永国寺(幽霊寺として有名)に本陣をおいた。当初、本陣に宿泊する予定であったが、永国寺は病院の様相を呈してきたため急遽、新宮家屋敷(当武家屋敷)が西郷の宿舎として使用されることとなった。ここに1ヶ月滞在している。

日本庭園は、東海道五十三次をかたどったといわれ、2300年経った木が江戸時代の面影を残している。

【永国寺】永国寺

蓬莱山のふもとにあり、西南戦争の際には西郷隆盛が本陣として利用した。「幽霊寺」とも呼ばれ、開山の実底和尚が描いたと伝わる幽霊の掛け軸が有名である。

裏庭に咲く睡蓮がきれいであった。午前中だと開花したところも見られたのだろうが・・・

掛け軸

5時を過ぎている。ちょっと歩き疲れたので今日はこれでお終いにする。温泉に入ってから夕食したいので旅館へ向かった。

寺を出て左折直進したら球磨川、橋を渡った袂に今夜の宿があった。  


女将は韓国出身

徒歩で観光したので汗ばんでいる。先ず温泉で汗を流したい。

人吉温泉は熊本県の南部、鹿児島県にほど近い山あいにある。宿泊した「人吉旅館」は、清流・球磨川に面し、周辺は自然がいっぱい残っている。

玄関脇の大きな泰山木に白い花が咲いている。和風、数奇屋造り、木枠の窓、ピカピカに磨かれた木の板の廊下に温もりを感じる。ハングルの表示もある。

温泉は浴槽が深い。約80センチあり20年以上前から設置されて人気なのが、松の木のベンチだという。

ベンチに腰掛けると肩まですっぽり温泉に浸かる。湯加減も程よく、ゆっくりと長湯したくなる。

露天風呂はないが、水で薄められることなく、源泉100%。循環式ではない、正真正銘のかけ流し方式である。微弱アルカリ炭酸泉。肌にやさしく、飲用にも効能があるという。

ここの女将は韓国出身である。館内のハングル表示も頷ける。TVも1局は韓国語放送が映る。韓国からのお客さんのためであろう。

宿の主人が、彼女の住む姉妹都市との交流で知り合い人吉へやってきた。通訳で日本語を勉強していたので日常会話に不自由はなかった。自然に恵まれた土地で生活し子育てしたかったので人吉へ来ることに迷いはなかったという。

結婚後日本の習慣や女将修行のため熊本大学に入学している頑張り屋さんである。来日18年になる今は活け花と能を練習中という。館内の花も彼女の作品。地元に根付いた生活をしている。

韓国からのゴルフ客も多い。韓国人ゴルフ客には、手書きのメモを渡し、JRを使った日帰りの熊本市内観光を薦めている。韓国では「韓国人女将がいる和風旅館」として、口コミで広まっているという。

日韓交流を地でいく若い女将である。着物姿で部屋へ挨拶に来た。流暢な日本語で話し、和服がよく似合う美しい女性である。翌朝フロントで見た洋装姿も若々しい。

夕食は川魚料理。郷土の素材を取り入れた会席料理(夏は鮎、冬はしし鍋も)である。鮎料理を楽しみにしている。

期待していたとおりに鮎の刺身、特に背ごしは新鮮で美味しい。

6月頃の若鮎は骨が柔らかい。薄く切ってあるので骨も当たらず背ごしに向く。

部屋食で、一品ずつ運ばれるのでゆっくりと味わいながら寛げる。

事前予約すると韓国料理も食べられる。早く知っていたら一品料理だけでも予約したものを・・・当日では間に合わなかった。

今日はよく歩いた。

足のマッサージをしてもらってぐっすりと眠った。    


もう少し人吉

宿泊した旅館の前は球磨川である。

部屋から川沿いの道路に出られない。朝食前に散歩がてら回ってみた。

球磨川の水量は昨日の川くだりのときより少なく感じる。浅瀬の石ものぞき、せせらぎが光っている。朝のやさしい川風が頬を撫でる。大きく深呼吸した。

岸辺の緑がきれい。その遠景に山が連なっている。

手前道路沿いの塀には透かし百合のオレンジ色が映えている。

2時発のJRに乗る。持ち時間は限られている。

それまでの時間にもう少し人吉を散策したい。

チェックアウト後、旅館目の前にある青井阿蘇神社へ。青井阿蘇神社

青井阿蘇神社は相良氏代々の氏神である。

建築物には鎌倉、桃山期の色彩や彫刻が施されている。本殿、弊殿、拝殿、茅葺の楼門は国指定重要文化財に指定されている。創建は大同元年、茅葺屋根の社殿にその歴史の重みが感じられる。

地元の人だろうか楼門で必ず拝礼している。

鳥居の横には蓮池があり、所どころに白い花が咲いている。咲き誇る頃は見事であろう。

城下町として栄えた球磨川河畔の人吉には、その名残りとして味噌や焼酎などの「蔵」がある。

地元の米と球磨川の清水で仕込む焼酎は、球磨焼酎として知られている。

焼酎に興味のない夫婦は、味噌・しょうゆ蔵の「釜田醸造所」へ向かった。

製造工程を見学できる。工場内は天然もろみと麹の香りが漂う。朝食で食べたばかりであるが味噌汁を飲みたくなる。

見学後お茶と漬け物、佃煮を試食できる。宅急便で送った味噌がおいし蔵い。

味噌・しょうゆ蔵は、やはり女性見学者が多い。焼酎蔵は男性でしょうか?

近辺には情緒あふれる石畳、老舗の古い町並みが残っている。「鍛冶屋通り」には刀剣屋、刃物屋が昔ながらの店構えで商っている。悠久の城下町の伝統や味が今も息づいている。鍛冶屋通り

行くべきところに昨日食べ損ねたうなぎ料理専門店、うなぎの「うえむら」が残っている。昼に食べて帰らなければ人吉旅行の帳面は消えそうにない。人吉を旅した友人勧めのうなぎ屋である。

宿を発つ時、おおよその位置は聞いてきた。だが、蔵めぐりで歩いているうちに方角や小筋が分からなくなった。

球磨川側に向かってちょっと広い通りに出たら直ぐに見つかった。

モルタル壁の古い作りの店構えで、看板を見のがすと探しつけないかもしれない。

店内も柱、上がり台は黒光り、客席番号も和数字で壱、弐、参・・・とレトロな感じ。映画のセットかと錯覚しそうであった。

ネットで調べたが、注文してからうなぎを捌くので1時間ぐらいの待ち時間は当たり前と書いてある。頑固親父のうなぎ屋かもしれない。

ぐずぐずしていると電車に乗り遅れてしまう。早い昼食となったが、聞きしに勝る「うな重」である。見た目はなんの変哲もないうな重だが、蒲焼はトップと中の2段入り。少な目のたれが掛かっているので、うす味で鰻そのまんまの旨味が生きている。

ふっくらとして歯ごたえもあって美味しい。年寄りに
2段入りは多すぎる。今年の土用丑の日の分まで食べた気分。お腹も充ちて駅まで歩いた。



帰りの電車「はやとの風」のルートはスイッチバック、ループ線は逆コースになる。上りのときの方が外を眺める余裕がある。下りは加速するので注意していても見逃してしまう。

肥薩線の吉松〜人吉間では日本一の車窓風景を展望できる。観光列車「はやとの風」でのスイッチバック走行、ループ線はワクワク・ドキドキの連続であった。童心にかえったように興奮していました。次回は八代〜吉松間の「いさぶろう号」「しんぺい号」に乗ってみたい。   

                                        おわり

2007.7.22記

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