![]() 2007/1/14〜1/18(5日間) トップページへ 旅紀行へ ![]() |
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旅 程
宿泊ホテル 【シェムリアップ】ソフィテル ロイヤル アンコール ゴルフ&スパリゾート ![]() 今回の旅行は、一昨年秋に、女性グループ有志で、タイ旅行をしようと毎月旅費の積み立てを始めたことが発端である。当初昨年11月頃の旅行を目ざしていたが、行く先、時期も変わって、年も改まった2007年1月に実現する運びとなった。 私にとっては時期の変更は幸運であった。昨年後半は母の病気、他界で旅行できる状況ではなかった。一度はキャンセルもした。 昨年のうちに四十九日法要が済んで忌明けしたので、年も明けて参加可能となった。 急遽参加できることになった。その為、カンボジア・ベトナムについて、事前の準備が出来ないまま飛び立った。 17名参加(1組の夫婦、女性15人、年齢50〜70歳台)のツアー旅行である。 真冬の日本から30度を越すカンボジア・ベトナムへ向けての旅行である。 ![]() 今回の旅行は福岡国際空港発である。 国際線の時間に合わせて鹿児島を出発しなければならず、早朝立ちとなった。 わが家を6時前に出て、リムジンバスの始発便に乗った。 観光の初日はカンボジアのアンコールワットである。しかし、直行便がないのでベトナムのホーチミン経由となる。福岡発のベトナム航空、6時間の飛行でベトナムのホーチミン空港に到着。時差2時間。時計を2時間前へ戻して現地時間に合わせる。ホーチミンから同じベトナム航空でカンボジアのシェムリアップ空港まで1時間のフライト。 着陸近くなって下を見ると、海のような水面が広がっている。カンボジアの内陸に向かって飛行している。海であるはずもない。川にしては大きすぎる。位置的にもトンレサップ湖であったと推測する。メコンデルタも確認できた。 昨年出来た新シェムリアップ空港は寺院風の屋根、周りに南国の花が咲いている。 カンボジアはビザが必要である。入国審査を終えて専用バスでホテルへ向かう。 バイクと自転車が多い。バイクは3〜4人乗りも見られる。埃っぽい道路を「グラマー」と呼ばれるスカーフを被って走っている。砂塵を巻き上げ猛スピードで走り抜けていく。東南アジア独特のバイクスタイルである。 ホテルのエントランスは蘭の香りが漂っている。民族衣装を纏った女性がトロフォンを演奏して歓迎してくれる。 ホテルで小休止して、夕食のためにレストランへ出かけた。 南の暑い所に来て、鍋料理? 普段の鍋料理のように、卓上の鍋で煮込みながら食べるスタイルではなかった。厨房で煮込んだものを個々に取り分けて運ばれてきた。 スープは牛味、牛肉、野菜、麺が入っている。味はよいがちょっと油っぽい。乾燥湯葉の食感のものも入っているが、灯りが暗く確かめにくい。 明朝は、5時に起床してアンコールワットに昇る朝陽を鑑賞する。 1.カンボジアの概要 カンボジアの国に降り立つが、訪問地はアンコールワットのあるシェムリアップである。 カンボジアの概要をまとめると
2.アンコールワットの朝陽鑑賞 アンコールワットの朝陽鑑賞に出かけるので、5時に起床して6時前ホテルを出発した。 今の時期、朝陽の昇る時間は6時30分〜40分の頃という。 夜もしらじらと明けてきて、懐中電灯、虫除けスプレーも必要としなかった。朝の外気は心地よい。 大きな堀に石橋が架り、まだ明けきらぬ空を背に、アンコールワットの寺院がシルエットのように浮かび上がって見える。 バスを降りると石橋の袂には人の群れが出来ている。朝陽鑑賞する観光客である。 堀に架かった入り口までの石橋も長い。大きな一枚岩の多い橋である。人力によるものだろうが、先人の業に驚嘆するばかり!補修中のところもある。上智大学も参加しているという。 橋を渡り、西大門をくぐると突然、目の前に壮大な寺院の全景が姿を現す。まだ明けやらぬ空に寺院が影絵のように映る。 参道両脇の草むらに朝陽を鑑賞しようと大勢の人が待ちうけている。ここは朝陽鑑賞のスポットである。 大門裏側の階段にカメラを据えて待ち構えているカメラマン、陽の上がる方向に眼を凝らす人,思い思いに・・・私も日の出を見のがすまいと固唾を呑んで待っている。何度も訪れたことがあるのだろうか「6月に来た時はあの方角から昇った」という人も。 茜色の空はだんだん色を増し光が反射した。日の出である。 遮るもののないカンボジア平原に昇る朝陽、神秘に包まれた感動の瞬間である!! その一瞬を画像に捉えることができた! 「アンコールパス」 外国人旅行者がアンコール遺跡へ入場するためには、「アンコールパス」が必要であ アンコールワットの観光は午後に行く。 3.アンコールトム(Angkor Tom) 朝食後、ホテルを出発しておよそ1時間走った。農村が点在し、舗装されてない道路も多く、後部座席に座っていたらぴょんぴょん跳ねる。 中村メイコの歌にある、 「田舎の道はオンボロ車 タイヤは傷だらけ ガタゴト走る・・・」 を地で行くようなものである。 アンコール・トムはアンコール・ワットと混同しやすいが同一ではない。 アンコールの意味はサンスクリット語から出た言葉で、都市国家の意味を表す。トムはカンボジア語で「大きい」という形容詞である。アンコール・トムの意味は大都市国家のことである。 アンコールワットの北1キロの所に在る。一辺が3kmの城壁で囲まれ、9平方キロの広大な敷地を有する。高さ8mの城壁と幅113mの環濠に囲まれている。東西南北の四つの大門と、勝利の門、五城門で外界と繋がるが、旅行者が入場するのは「南大門」である。 ![]() ![]() この広大な地域の中に「バイヨン寺院」、「バプーオン神殿」、「ピミアナカス」「王宮」、「象のテラス」、「ライ王のテラス」など数々の遺跡がある。 昔はアンコールトム内で生活していたという。 南大門とバイヨン寺院には、象乗り場があり、象の背に揺られて王様気分で周遊できる。見ていると巨体に揺られてバランスとりにくそうに見える。高所恐怖症の人には・・・好んで乗る気もないが・・・ 壕に架かる欄干には、乳海攪拌の神話をモチーフに、デーヴァ(神々)と阿修羅が左右にそれぞれ54体ずつ、大蛇の胴体を抱えて綱引きするような姿が描かれている。大門には3mの菩薩の顔が喜怒哀楽を表現している。 参道を歩いてバイヨン寺院へ 参道を進むにつれ次第に菩薩像の顔が迫ってくる。一つに四面の顔がある。 ![]() 【バイヨン】 必見は第一回廊の壁画である。 東西160m、南北140mの壁面の彫刻は、神話や戦闘ばかりでなく、当時の庶民生活の様子が写実的に描かれている。料理人が食事を作っている図や、闘犬、闘鶏の場面もある。臨場感に溢れ当時の社会や習慣などもうかがえる。 第二回廊の壁画はヒンドゥーの神話や伝説が主題となっている。 【象のテラス】 王宮には、外敵の 【バプーオン】 バプーオンとは「隠し子」の意味がある。 その昔、シャム王とクメール王は兄弟だった。シャム王が王子をクメール王に預けると、クメール臣下は陰謀だとして怒り、王子を殺害してしまう。怒ったシャム王はクメール征伐するが、クメール王妃がこの寺院に隠したという伝説から、「隠し子」という意味の名前がつけられたといわれている。中央祠堂は修復作業中。 ![]() 【ピミアナカス】 王宮の中心部に建立されたヒンドゥー教寺院で「天上の宮殿」の意味の名称。ラテライトを三層に積み上げて築かれている。ピラミッド型をしていたが、今は中央祠堂の大部分は崩壊している。 【ライ王のテラス】 「ライ王伝説」の主人公、ライ王の彫像が安置されていることから「ライ王のテラス」と呼ばれるようになった。実物はプノンペンの国立博物館に展示されており、ここはレプリカである。 1956年アンコール遺跡を三島由紀夫が訪れている。この伝説を題材にして、戯曲「ライ王のテラス」を発表し、上演して有名になっている。 三島由紀夫のことはガイドブックで知ったが、現地添乗員は、彼の名前を知らなかった。 アンコールトムは、余りに広大すぎて限られた時間では見切れない。それに次々と似たような仏像、壁画が現れて、判別できない。その規模、スケールの大きさに只々愕然とするばかり!! 4.トンレサップ湖クルーズ 午後の予定はアンコールワット見学である。 2時間ぐらいの空き時間でトンレサップ湖クルーズが出来ると聞き、オプションで急遽出かけることになった。料金25米ドル。 シェムリアップ川沿いに走っていく。舗装してない道路は埃が立ちガタゴト揺れる。 川岸に高床式の粗末な住まいが建ち、生臭い匂いがしてくる。魚の干物も見える。ボート乗り場に近づいていくと、狭い道路にも拘わらずトラックも砂塵を上げて突っ走ってくる。ボート乗り場付近は、人と車が喧騒の中をごったがえしている。岸辺には国旗を付けたクルーズ船が停まっている。露店あり、観光客に呼びかける物売りの子供、熱気と独特のエネルギッシュな雰囲気に包まれている。そのパワーに圧倒される。 クルーズといっても、エンジンのついたボートに、簡単な屋根と椅子が設置してあるだけ、およそ1時間で戻ってくるミニクルーズである。子供も働き手を担っており、船の周りを身軽に歩いて見回りをして父親の手助けをしている。終わると舳先に座って進行の見まわり役か? 学齢前の歳に見える。 水上学校(小・中学校)もあり、子供たちの姿が見える。Every one plays.Every one learns.と書いてある。水上船の屋根の上に薪を積んでいる。あちこちの屋根にTVアンテナが見える。電気のない生活をしているのに?と思ったが、バッテリー充電でTVを見ているという。きっと唯一の娯楽に違いない。 ここで生活している人々は高床式の家屋に住んでいる。湖の水が増えても浸水しない程度の高さに造られており、雨期の間、移動は全て船で行っている。 洗濯も、体を洗うのも、ごはんを炊くのも、おしっこするのも、トンレサップ川である。 視界が広がってトンレサップ川からトンレサップ湖に出た。観光客の遊覧船を見つけると、 あっという間に物売りの手漕ぎの小船が近づいてくる。 モンキーバナナを抱えた子供もいる。 ひっきりなしに遊覧船が行き交い、物資の運搬も多い。 文明から程遠い生活をしているが、家族が一丸となって日々の暮らしをしているようにみえる。精気があるように映る。人はなにが幸せか考えさせられた。 水上生活者の、逞しく自然と一帯となった営みをしている生活の一端、生き様を見るおもいがした。 トンレサップは、カンボジアに位置する湖であり、河系と結びついている。東南アジア最大の湖で、クメール語で巨大な淡水湖 (sap) と川 (tonle) という意味がある。 一年のうちほとんどの期間、水深は1mに留まり、面積は2700平方kmしかない。形状はひょうたん形である。今は乾期で3〜4mぐらいの水位。 しかし、夏季のモンスーンの時期には湖からプノンペン付近でメコン川に流れ込むトンレサップ川が逆流する。そのため周囲の土地と森を水浸しにしながら面積は1万6000平方kmまで拡大して深度も10m以上に達する。淡水魚には陸上植物起源の有機物が豊富に供給され、また多量のプランクトンが発生する、このような一時的水域で繁殖するものが多いため、魚が大量に発生する。体重100kgを上回るメコン大ナマズ) やフグなど600種類以上の淡水魚が生息する。 雨季の終わりには水が引き、繁殖を終えた魚は川下に移っていく。トンレサップ水系で採れる魚は、カンボジア人のたんぱく質摂取量の60%を占める。 トンレサップ川が逆流することで、メコン川下流の洪水を防ぐ安全弁にもなっている。
5. アンコール・ワット(Angkor Wat) 午後からは、今回の旅行のハイライト「アンコールワット」の観光である。 アンコールワットの正面は西側を向いているので、午後に観光をするほうが綺麗に見えるのだそうです。 早朝、朝陽鑑賞に来たので、見覚えがあり、堀を右折すると長い石橋が見えてきた。 石橋の袂まで来ると、係官が乗ってきてアンコールパスのチェックをする。こちらも慣れてきて、分かり易いように首にかけたパスを手に持って表示する。人数を確認している。 正面参道に立つと、この寺院は西を向いている。 他のアンコール遺跡のほとんどは東向きであるが、この寺院は違う。その理由は、この寺院が葬儀を行うための寺院として建てられたからである。 クメールの風習では、死者は必ず頭を西向きに置くとされていることにも因るようである。 カンボジア国旗の中央にもデザインされ、カンボジア人達にとっての象徴となっている。 日本人では、1632年、森本右近太夫が参拝し足跡を残している。壁面に墨書が残っている。ここを祇園精舎だと思ったという。 建築年代は12世紀前半(1113年)、スールヤヴァルマン2世が建立したヒンズー教寺院を、のちに仏教施設に宗旨替えした。およそ3万人の精鋭職人が、30年かけて完成している。 王の死後は墳墓寺院となった世界屈指の大伽藍である。三重の回廊と5基の塔を持つ勇壮な寺院である。 だが、どこからこれだけ大量の石を切り出し、どのようにして巨大な石造建築物が造られたか、現在も解っていない。 1960年、この地を訪れたフランス人の植物学者、アンリ・ムオのアンコール遺跡発見によって、一躍注目を浴び1863年にカンボジアがフランス領になってから遺跡発掘および調査・修復が行われアンコール王朝の全容が明らかになった。内戦によって遺跡の荒廃を余儀なくされたが、1979年にユネスコの「世界遺産」に登録され、世界各国の援助で修復作業が行われている。 樹海に埋もれ、歴史の闇をさまよっていた巨大な遺跡、アンコールワット。 ![]() ワクワクしながら参道に立った。 表参道は石畳で敷き詰められている。入り口から大門までが190メートル、大門から寺院までが350メートル、合計540メートル、道幅は12メートルある。 参道の入り口には七つ首の蛇神ナーガに出迎えられる。大門をくぐると突然、視界が広がり、壮大な寺院の全景が勇姿を見せる。神々しい感じがする。 ガイドブックにも、全身の五感を研ぎ澄ませながら歩み進めようと書いてある。 参道はラテライトを積み上げ、表面に砂岩の石畳を 参道の途中にある北側の池は必見の場所である。正面からは中央祠堂は3つしか見えないが、ここからは中央祠堂にある5つの塔すべてが見渡せる。 5つの塔が、睡蓮の咲く水面に浮かび上がり、そのコントラストは神秘的である。記念撮影に最適な定番スポットという。 参道に戻って、西塔門の階段をのぼり第一回廊へ進んだ。 ![]() ヒンドゥーの神話を題材にした物語が、高さ5mの壁面に、全長760mにわたって浮き彫り細工のようにびっしり刻み込まれている。 スルーヤヴァルマン2世率いるクメール軍や天女アプサラを描いた精緻なレリーフが絵巻物のように展開されている。 第一回廊東面に彫られたヒンドゥーの神話に基づく「乳海攪拌」図は、必見である。 見学者も多い。乾季で観光客が多いこともあろう。ガイドの近くで説明を聞こうと思うが、英語、中国語、韓国語が飛び交う。 流れに遅れまいと付いていくが、アンコールワット全体のどの位置にいるのか定かでない。通路も狭い。 第二回廊への階段はよりいっそう険しくなっていく。 回廊の壁面外側は、無数の女神テヴァターたちの浮き彫りで飾られている。その数は1500体。どれ一つとして同じ格好をしているものはないという。内部は薄暗く、さまざまの仏像が安置されている。 第三回廊の中央祠堂に向かう階段は、岩盤のぼりのような急勾配の階段である。 勾配70度、手すりはなく、ステップも浅い。上りたい気持ちでここまでたどり着いたが、見上げるだけで怯んでしまう。上がりはこの階段だけ、石段で足を踏み外したら、転げ落ちること必死。 下りは西側の階段に手すりが付いているが、下り専用で1時間待ちという。上りは添乗員も「自分の責任で上って下さい」と伝える。 結局、我々の仲間は誰も上らなかった。上っても眺望がよいだけで、何にもないと聞いたこともあって・・・ 暫く腰掛けて中央祠堂を眺めた。 見ていると身軽に、這うようにして上がる人、様々なスタイルで上がっている。もっと若いときに訪れるべきであった。今回に限っては、スニーカーを持参してよかったと思った。 謎と神秘に包まれた、クメール王朝の「アンコール・ワット」、1000年近くの間、ジャングルの中に眠っていたのである。残念ながら、中央祠堂には上がれなかったが、アンコールワットを目の当たりにして、人類の偉大さと神秘に包まれた寺院に魅了された。 6.アンコールの夕陽鑑賞 アンコールワットの朝陽は素晴らしい。 朝の早起きなどなんのその、全員張り切って出かけた。聞きしに勝るアンコールの朝陽であった。同様に夕陽の素晴らしいスポットもある。 「プノンバケン」という小高い丘であるが、ここも急な勾配の階段だという。添乗員が、みなの体力を察してか、場所変更になった。 替わって「プレ・ループ」から夕陽を眺めた。 ここは、夕暮れ時には絶好のビューポイントの場所である。 祠堂は風雨と太陽の日差しを直に受けており、風化し、崩れかけているが、基壇の紅色との対比が美しく崇高な雰囲気が漂っている。 勾配は急であるが、焼きレンガの階段はざらついているのて、滑り止めになって助かった。 ![]() 夕陽を見たいがために・・・次回はないと思い・・・・ 夕陽は、薄暮の空を茜色に染めている。空の色は雲と絡んで刻々と変化していく。 基壇の階段に腰掛けて、踊り場の縁に足をぶら下げて、寝そべって、それぞれに自分流のスタイルで落日を眺めている。気を抜かれたようにボーッとしていたが、デジカメだけは瞬時を逃すまいと握りしめていた。 30分ほどして下った。そこで、正に地平に沈む間際の赤い夕陽が見えた。言葉に出来ない感動!! 夕食はアプサラダンスショーを見ながら、バイキング料理を楽しんだ。 食事は中華料理を主体としており、油っぽい料理が多いので、冷たいものは避けた。体を冷やさないように、温かい「フォー」は好んで食べるようにした。 アルコールには弱いので飲み物はフレッシュジュースを注文した。 ※ アプサラダンス カンボジアに伝わる王宮舞踏で天女の舞。 アプサラ(天女)の踊りは9世紀頃に生まれた宮廷舞踊で、神に捧げられた踊り。 遺跡の壁画にアプサラがたくさん彫りこまれている。身体や指先、足先の動きはとても優雅。 タイの舞踊は歯を見せて微笑むのに対して、アプサラは口を開けない。 動きはタイはキメのポーズがあるのに対して、アプサラは流れるような動きという。 二泊したホテルでも毎晩野外ステージで演じられていた。
※ フォー(米粉うどん) フォー (Ph?) はベトナムの代表的な麺料理である。日本のうどんに相当するような軽食である。鶏や牛から出汁を取った透明なあっさりしたスープにコシのない米麺を入れ、鶏肉や牛の薄切り肉、肉団子、海鮮などが具材として乗っている。そこにライムの絞り汁や、たっぷりのバジル、コリアンダー、青唐辛子などのハーブ、モヤシ、ニョクマム、などを好みで加える。 ベトナムでは高級レストランから街角の屋台までフォーを作っており、生活に密着した食べ物である。麺は、きしめんのように平たいものから、ソーメンのように細いものまである。ビーフン仕立てもおいしい。 調理は少しアレンジしてあるそうだが、カンボジアでもよく食べられている。 アンコールの遺跡として、「アンコールワット」と「アンコールトム」は有名でよく知られている。だが、広大な地域に広がっている遺跡群は、周辺や郊外にもたくさんある。 その中で、「バンテアイスレイ」と「タプローム寺院」を観光・見学した。 ![]() 「バンテアイスレイ」 バンテアイスレイへ向かう。1時間ほど走った。 シェリムリアップの中心街を抜けると農村地帯で田園風景が広がっている。道は狭く、未舗装の道路もある。埃は舞い上がり、バスも揺れる。 田畑には、痩せた牛が放牧されたり、高床式の農家が多い。昼時にゴム草履を履いた小、中学生が歩いている。姉妹らしい少女が自転車のペダルを踏んでいる。昼食は自宅に戻って食べる習慣であるという。 バンテアイスレイに着いた。正門前の池に睡蓮が咲いている。ここの池も水面に花影を映している。水は澱 デイト中らしい一組のカップルが手を差し伸べてほとりに座った。男性は制服を着ている。 ここは、ヒンドゥー教寺院で遺跡の規模としては大きくない。鮮やかな紅色砂岩が多用され、夕陽に照らされるとバラ色に輝くという。ヒンドゥー神話を題材にした浮き彫りの装飾はアンコールの至宝とも呼ばれている。彫刻の美しさはアンコール遺跡群の中でも特に優美といわれている。
秀逸は中央神殿の側面 に彫られたデヴァダー像である。「東洋のモナリサ」と評される。注意していないと、小さく、陽の影に隠れると見逃しそうな位置にある。 「タプローム寺院」 タ・プロームとは「梵天の古老」を意味し、仏教寺院の遺跡である。自然の浸食を受け大部分が倒壊の危機に瀕している。長年放置されていた遺跡にはジャングルの樹木、スポアン(ガジュマルの一種)が絡みつき、成長するに従って遺跡は完全に覆い尽くされた。南国における自然の猛威に息を呑む。 観光地は、どこも観光客のバスの周りに子供の物売りが執拗に寄ってくる。埃まみれの足にゴム草履を履き、髪もボサボサしている。風呂に入る習慣がないそうで、見ていると切なくなる。胸が痛む。 遺跡の本、写真、絵葉書のセットで10ドル、または1000円と指1本で合図する。1000円札一枚持って10ドルと交換してくれという少女もいる。通貨としての価値は、米ドルが一番なのだろうか? 車窓から見る家々は、貧しく、文明からは程遠い暮らし向きに映る。だが、なぜか懐かしい感じがする。 映像で見たり、遠い記憶の中の片隅にはあるが、想い出すことも難しい、忘れてしまったような農村風景が続く。水上生活している人や農村の姿は、60〜70年前の日本にもあったと思う。 夕刻、シェムリアップ17:20発のベトナム航空でベトナムのホーチミンへ飛んだ。
ホーチミン市 (4日目の午前) 旅も4日目、ホーチミンに到着した。 ホーチミンは、旧サイゴンである。 サイゴンは1956年のジュネーブ協定の後、南北にベトナムが分割され、1975年にサイゴンが陥落するまでの間、南ベトナムの首都としてにぎわってきた。その後新政府によってホーチミン市と名称を変更されている。 ベトナム戦争でサイゴンが陥落して30年経っている。最近だったような感覚であったが、若い添乗員も記憶に残っているという。TVで見た、最後の米軍飛行機がサイゴンを飛び立つ映像は鮮明に残っている。 ![]() 旧南ベトナムの首都サイゴンであった現在のホーチミン市は大都市である。街は車も人も多い。バイクは束になって突進してくるように道路に溢れ、猛スピードで走り抜けていく。覆面スタイル、2〜3人乗りの姿は変わらない。 市の中心部を流れるサイゴン河は、ドンナイ川の支流にあたり、サイゴン港から南シナ海へはおよそ50kmある。サイゴン港近辺の川幅は約300m、水深はおよそ10mあるので、このためサイゴン港には3万トンクラスの貨物船も楽に入港できる。サイゴン川と港はこの町のシンボルになっている。宿泊したホテルもサイゴン川沿いにあった。貨物船が停泊していた。
南のホーチミンではフランス統治時代の影響が今も強く残っている。街はサイゴン川の西側に開けており、かつて「プチパリ」とも称えられていた。ホーチミン市の市役所である人民委員会庁舎はフランスのアールヌーボー式のデザイン、有名なホーチミン市郵便局は、フランス建築家の設計によるものである。 街造りもヨーロッパ風になっていて、交差点にはロータリーがあり、放射状の通りと、碁盤状の通りとが重なり合って町並みができている。 地図を見ながら、サイゴンの銀座通りといわれる「Dong Khoi(ドンコイ)通り」付近を少し歩いたが、放射状の通りはクロス地点が分かりにくかった。 市場に行けばメコンの恵みをいっぱいに授かった南国特有のフルーツや野菜が山積みされ、裏通りには天秤棒を下げた威勢のいいおばさんが行き来する。 観光したところを簡単に記す。 ◆Hoi Truong Thong Nhat統一会堂(旧大統領官邸) 1873年にフランスのコーチシナ総督が住むために造られたNorodome Palaceがもとの建築物。1966年に建てられた南ベトナム政権時代の旧大統領官邸で、大統領とその家族が住み、政府の執務もここで執った。1975年、解放軍の戦車が敷地内に突入したことにより、ベトナム戦争は終結した。 ![]() 現在は一般公開している。100以上の部屋があり豪華な造り。ベトナムの芸術や工芸で内装を飾られている。屋上には専用のヘリポートもある。戦時中は極秘軍事基地として ![]() 屋上からの眺めは素晴らしい。噴水のある広い前庭の先にホーチミンの街が広がっている。車とバイクの洪水も一望できる。
1975年オープン。ベトナム戦争に関する博物館。 ベトナム戦争で実際に使用された戦車、戦闘機、ミサイル爆弾などの兵器を配した屋外展示と、戦争に関する膨大な資料を公開した室内展示から成る。 道に横たわる無惨な犠牲者、戦火を逃げまどう婦女子、虐殺の写真は正視に堪えない。 日本の「石川文洋」、「中村吾郎」の写真も常設展示されている。 ベトナムの作家「グエンティ]原作の本を基に、「いわさきちひろ」がデッサンした絵が展示してあった。子どもの普遍的な生命力と愛しさを表現しているという。ホーチミンで彼女の作品に接するとは思いのほかであった。 ◆Notre Dame Cathedral ノートルダム教会、およびホーチミン郵便局 ホーチミン郵便局は19世紀末フランス統治時代に建てられた壮麗な建物。内部はアーチ状の高天井と正面奥の壁に掲げられたホー・チミンの肖像画に圧倒される。国際電話用のブースもある。夫の土産に、切手を1シート(南の小鳥、1米ドル)購入。 ![]() この一角にはフランスの空気が流れているように感じられる。
ホーチミン市の中央にあり、市民の生活の中心として活躍している市場です。 『観光市場』と異名をとるほどに、観光客向けの手工芸品が充実している。 マーケットに入る。びっしり詰まった店内には、隙間も無いほど商品が並べられ、ぶら下がっている。物音、話し声の喧騒に驚き、どんな商品があるのか見極めができない。 現地ガイドから雑貨と果物はお薦め、食べものは買わないようにとアドバイス。果物に関心があって、店内の案内人らしき人に売り場を尋ねた。あるわ、あるわ、トロピカルフルーツが・・・・ パパイヤ、マンゴー、マンゴスチン、ドラゴンフルーツ、パッションフルーツ、ミルクフルーツ、ドリアン、ジャックフルーツ・・・ 買いたいが、この日の深夜便で帰国するので断念する。残念!! 結局布製の小物入れ、水牛飾りの箸、ベトナム茶を買っただけ。午後からのフリーの時間に再度行く予定でいたが、あの騒々しさ喧騒に圧倒されていく気は失せた。ゆっくり時間をかけてみるにはあまりに雑然として、スリも怖い。
昼食はバイキングスタイルのベトナム料理 ホーチミン (4日目の午後) フリータイム 現地ガイドの話で ベトナムは7世紀まで中国領であったこと、1950年までは漢字を使っていた。 犬を食す習慣は中国文化の影響を受けている。北ベトナムに多く、中部・南部では半々の割合。月収15,000円。 小柄で、自称「ベトナムのカトちゃん」「本物は見たことない」といっていたが、確かに似ている。 午後は自由行動である。 午前中の観光が終わり、昼食後、一旦ホテルに戻って各自好きなプランで行動することになった。 〜レンタカーで郊外の農村観光へ出かける人〜 〜エステへ行って疲労回復と美人へ変身する人〜 〜歩き疲れて、ホテルのロビーでゆっくりする人(チェックアウトしているので部屋には入れない。この日は満室で時間延長も出来ない)〜 様ざまに。 友人3人と一緒にホテル近くを散歩することにした。ホテルのフロントでもらった地図を片手に、銀座通りといわれるドンコイ通りへ行ってみようと思った。街の写真も撮りたかった。 ホテルの前は大通りでその先はサイゴン川である。 通り(トンドゥックタン通り)は車両とバイクが猛スピードで激しく行き交い、その量、騒音には圧倒される。一車線を左右両方向から往来してくる。写真に収めたいがそのスピードについていけず、シャッターチャンスもままならない。 近くに信号も見当たらない。サイゴン川を見たいと思い、プロムナード側に横断したいがとてもじゃない。車とバイクの洪水で、右往左往していたら、現地の人が手を貸してくれ難なく渡れた。プロムナードには「シクロ」を置いて腰を下ろして休んでいる。きっと観光客待ちしているのであろう。先ほどの男性もそうに違いない。天秤棒を担いだ椰子売りのおじさんも客待ち顔である。 サイゴン川は川幅も広く流れもゆったりとしている。貨物船も停泊している。ホテイアオイがゆらゆらと波に揺られている。川に向かって大きく深呼吸した。対岸には工場らしい建物も見える。 このあとドンコイ通りを目指して歩きはじめた。 ヨーロッパ風の交差点にはロータリーがあり、放射状の通りと、碁盤状の通りとが重なり合って町並みができている。通りが斜になっているので確認しにくい。何度も道を尋ねた。ショッピングする気もなかったせいか、あまりお洒落な店にも出あわなかった。民芸店に入ってビーズ刺繍のバッグ(10$)を買った。 ホテル前の通りからすると車とバイクの疾走も少なく歩き易い。 どの通りも露店は多い。天秤棒を下ろして路上で商っているおばさん、そのそばに若い女性が腰掛けて食事をしている。埃を舞い上げて車やバイクが走っていようがお構いなしである。 中華ちまきを自転車一杯積んで商っているおじさんもいる。 おいしいものはあるのだろうが、屋台や露店で食べる気にはなれない。 同じ道を戻ったら、横断のとき手を貸してくれたおじさんは、まだ客を待っているようで座っていた。手を振ったら判ったらしく合図を送ってくれた。温かい手の温もりが残っている。
ホーチミン (4日目の夕方) 夕食は海鮮料理である。 中華料理メニューであるが海鮮を主とする広東系であった。 テーブルの前で見せてくれた料理は、 紹興酒に活き海老を入れて火にかけて煽ると、一気に湯気と炎が立ち上がる。ガラスの鍋で海老は勢いよく踊っているが、こともなげに鍋をつかんでいる。同様なつくり方は香港でも見ている。 アルコール分は飛び、鮮やかな紅色の海老はぷりぷりしておいしい! 味付けは薄味、さっぱりして日本人好みである。油の多い中華料理メニューの食事が続いていた。最後の「おじや」はうれしく胃にも優しかった。 帰国便は深夜に飛び立つ。 待ち時間を利用してオプションでアオザイショーを見ることになった。 【アオザイショー】 アオザイを纏ったベトナムの女性の姿は美しい。福岡から搭乗したベトナム航空のフライトアテンダントも着用している。深い赤色の上着に真っ白なパンタロンスタイル、赤い色とシルエットの美しさに惹き付けられていました。 通路を行きかう姿に「素敵ね」「どんな素材かしら?」と隣席の友人と話す。図々しいおばさんは、興味津々です。 日本語で話せたので尋ねてみました。「素材は?どんな作りになっているの?着方は?」と聞き、生地まで触らせてもらいました。 ポリエステル素材、長い上着丈の脇は腰まで開いている。チャイナカラー、ラグラン袖のデザインで、頭からすっぽり被り前身がスナップ止めになっている。 長身のスレンダーなアテンダントには正にぴったり!!
帰国間際の時間に、アオザイショーを見られることになってワクワクしていた。 夕食後行った劇場は、《AoDai SHOW traditional MUSIC》 今日のショーはアオザイの中でも北ベトナムのアオザイがメインになるという。 伝統音楽は、馴染みがないと退屈するが、「ダン・パウ」と呼ばれる一弦琴の演奏はジャズのセッションのように激しく退屈する間もない。聴いているほうもスイングしたくなる。 強烈な印象に残る楽器は「石琴」と「竹琴」(トゥルン)であった。 「石琴」の名手が叩く、激しい演奏は、髪を振り乱しながら右へ左へとバチを走らせる。まさに「鬼気迫る」という言葉がピッタリ。石の響きとは思えない透明感のある音色に感動した。 一見して木琴と見間違うが、石琴は世界に3つしかないという。 「竹琴」は「トゥルン」と呼ばれるベトナムの民族楽器である。 シェムリアップのホテルのロビーでは、民族衣装を纏った女性が「トロフォン(シロフォン?)」を演奏して歓迎してくれた。 こちらも打楽器である。今回の旅では珍しい打楽器に巡りあった。 楽しみにしていたアオザイショーが始まった。 切り込みの深い上着を纏ったスレンダーな女性が登場。 歩を進める度に長い裾が優雅にひらめく。 写真に収めたいと凝視するような視線で眺めているのです。客の前で一寸立ち止まってくれるが、時間が短かすぎて写真のシャッターチャンスが決まらない。 男性のアオザイスタイルは珍しい。北ベトナムのアオザイがメインとあって山岳民族らしい衣装も多々あった。タイヤビルマの山岳衣装に似ている感じがした。何点の衣装を見ただろうか?
約2時間のアオザイショーを楽しんで空港へ向かった。 日付は1月18日に変わり、1時30分発のベトナム航空で帰国の途に着いた。 戻りは4時間30分で福岡に到着した。(往きは6時間)
※ アオザイ アオザイ(Ao dai)とは、ベトナムの民族衣装。「アオ」は着物、「ザイ」は長いという意味、つまり「長い着物」のことである。日常にも正装にも広く着られている。男性用もある。 なお南部では「アオヤイ」と発音する。清朝から移入されたチャイナドレスを起源とする。もともと土着の服装と異なる官服として着られていたことから、現在でも正装とされるようになった。現在の女性用アオザイがデザインされたのはフランス領インドシナ=仏印 (現在のベトナム、ラオス、カンボジ)時代のことである。 上衣は「チャイナカラー」と呼ばれる前合わせの立襟で長袖の体に沿った細身の仕立て。丈は足首にかかるほど長いが、腰骨にかかるくらいの深いスリットが側面にあるため歩行の邪魔にはならない。下衣には上衣と逆に直線的な裁断の白い長ズボン(クワン、qu?n)の組み合わせで仕立てる。 ベトナム航空(国営)ではかつてはピンク、現在では赤のアオザイが女性のフライトアテンダントの制服に採用されている。機内で見た色である。 高温多湿の気候のため、上着は木綿が多く、クワンは下着が透けるような薄い生地(絹や化繊)が使われることも多い。 女性用は、かつては青色がほとんどであったが現在はさまざまな色がある。正装は白色。 縫製に余分を持たせていないために体の線を強調し、美しく見せる服である。女性のボディラインを美しく見せる民族衣装として、国外の女性も憧れることが多い。 旅に出ると珍しい特産品を見たり、おみやげ探しも楽しみの1つである。 今回の旅行は東南アジアのアンコールワットとホーチミンである。 アンコールワットの遺跡見学とホーチミン市内観光が主目的で、あまりショッピングする予定はなかった。 クレジットカードやトラベラーズチェックは使える場も少ない。通貨は米ドル持参がよいという。物価も安いので300ドルだけexchangeした。 当初、1月半ばの今度の旅行は参加できないと思った。昨年11月に母が他界して服喪中の身である。事実一度はキャンセルしたが、年内に四十九日の忌明け法要を済ませたので参加可能となった。 だが、事前準備する余裕もなく、ガイドブックを読む間もなかった。目ぼしい土産のチェックも出来ないまま旅立った。 機内で読んだガイドブックに、「3$で買えるグッズ」と書いてある。 値段も手ごろ、これはいい、その中に「水牛の角がワンポイントの箸」2$。 マホガニー調の色合いで、オリエンタルな食卓を演出してくれる。どこの雑貨店でも手にいる。嵩張らず、軽いし、迷わずこれに決まり。 今回は、素朴な民芸雑貨を見られるといいと思っている。 「オリエンタルとヨーロッピアンのエッセンスが詰まったベトナムのお土産」の文字に、好奇心はくすぐられ、マイナーなイメージの品がありそうで・・・ ガイドが案内する店は、品質は確かに違いないが、値段は高い。同じものを街中で見つけられたら格段に安い。市場は、定価はあってないようなものという。値段交渉次第でもっと安くなる。日頃の主婦の腕を発揮して、まとめ買いして値切ると、言い値より必ずまけてくれる。 シェムリアップの空港で色々なスパイスを見つけた。 香りのよい黒胡椒、カレーパウダー・・・3$
ホーチミンのベンタイ市場で 「水牛の角ワンポイント」黒檀の箸(10人分) 9$ベトナム茶 3$ ベトナム茶はジャスミン茶のようである。 この市場では入念に見てまわれば民芸雑貨はありそうであった。あらゆる空間を駆使して商品が並び、ぶら下っている。フリーの時間に見るつもりでいた。然しあまりの喧騒と雑踏に圧倒され再度行く気になれなかった。 布製のポシェット3$。自分用に1つ買ったが、まとめ買いした人もいた。 コーヒー(ベトナムのコーヒーは有名?)は、 コーヒーとジャスミン茶は離陸前のホーチミン空港の免税店で購入した。1〜3$。 チョコレートも1、2$のものは小ぶりで、残った外貨を使い切ることも出来て便利。 今回は、値の張るおみやげは買う気もなければ見る時間もなかった。 民芸雑貨も、ゆっくり見て周り吟味する時間があれば、掘り出し物を見つけられたかもしれない。だが、時間切れで心残りぐらいのほうが宿題を残されたようでよいと思っている。 今回の旅の目的は、カンボジアのアンコールワットをメインとしたアンコール群の遺跡見学とベトナムのホーチミン観光であった。 なんといってもアンコールワットの印象は顕著で、特筆すべきことが多い。
アンコール近辺を見て、カンボジアは貧しい、発展途上の国の印象が強い。町の表通りはマンションなど建築ラッシュに見えるが、一歩農村部に入ると高床式の粗末な住まいである。内戦の影響を引きずっている。だが自然と共に暮らす人々の表情に暗さは感じられない。観光客のバスに近づいて、民芸品やハガキを売る子どもの目を見るときは切なかった。必死にすがる様な眼差しで見つめられると辛い。日々の糧を稼いでいるのだろうと思うと・・・ トンレサップ湖のミニクルーズでは、はじめて水上生活者の暮らしぶりを垣間見ることが出来た。子どもも親の手助けをしている。貧しいが日本では希薄になってきている家族の絆を感じた。 ベトナムは、 北のハノイの町並みは中国の文化の影響を受け、南のホーチミンはフランス統治時代の影響が残っているという。その名残りは、有名なホーチミン市郵便局、聖母マリア教会に代表される。 ホーチミンは旧南ベトナムの首都サイゴンである。南北ベトナムは統一して30年経ち、国も社会主義共和国になった。町はホーチミン市に変わっても、川の名前はサイゴン川である。宿泊したホテルもサイゴン川沿いにあった。旧サイゴンに行ったことはないが、ホーチミンよりサイゴンのほうが馴染みもあり、印象が強い。きっとベトナム戦争の報道のインパクトが印象に残っているのかもしれない。 町にアメリカの面影は感じられないが、社会主義体制に変わって、近代化は足踏みしたのではなかろうか。近代化へ向けての息吹は感じられる。車とバイクの洪水の渦には只々びっくり!! 中華街のチョロン、ビンタイ市場も行ってみたいところであった。 旅に出ると市場やスーパーマーケットを見物したいと思う。珍しい果物や食材に出会うとうれしい。市街地に近いベンタイ市場はちょっと行ったが、あまりに雑然としてゆっくり見ることは出来ない。機内で飲んでおいしいと思ったベトナム茶は見つかった。 文明を享受して暮らしている人(とりもなおさず日本人?)と家族と自然の流れの中で日々の営みをしている人(今回の旅で見たカンボジアの人々)、その落差は厳然たる事実である。 逞しく暮らしているカンボジアの人を見て、 “物質文明に充たされ、心はどこにあるのだろう?” “人間の幸せは?”と己を振り返り考えさせられる機会になった。 ハプニングもあった。旅の最終日に体調不良の人がでた。 真冬の日本から、30度のカンボジア、ベトナムへ来ている。食事は中華系で油分が多い。頭では分かっていても体の切り替えはできていなかったのであろう。腸炎もどきになった。夕方添乗員に付き添われて病院へ行った。帰国寸前になって心配しました。 深夜に飛び立つ航空便のぎりぎりの時間に間に合い搭乗できた。皆と一緒に帰国出来て安堵しました。なんと、仲間の中に女医さんがいて的確なケアーをしてもらえたのです。幸運でした。体調管理の重要性を痛感した旅でもあった。 おわり |