〜九州新幹線開通を記念して〜
2004.3.23〜3.24(1泊2日)

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川下り


1.ハプニング

今回の旅は思いも寄らない旅立ちであった。

背中を押し込まれるようにして乗車したらドアが閉まり、新幹線「つばめ」は滑るようにして鹿児島中央駅(旧西鹿児島駅)を発車した。先頭車輌1号車の指定席まで進んで座席番号を確認して座った。

「隣の座席のSさんはまだ来ていない」「K、T、Iさんもいない・・・」の声が聞えてざわざわし始めた。25人のグループで乗車したので辺りを見渡してみて数えると18人しか乗車しておらず全員揃っていない。他の車輌にいるのではと確認に行った人が見当たらないと戻ってきた。全員乗車していないことがわかり騒ぎになった。列車が既に動き出しているのでどうすることもできない。“後の便で来るわよ”と言いながら、新八代駅で残りの8人を待つことにしようと決めて座った。当番監事の人が乗っていないこともわかり1人が携帯へメールを送った。“お〜い、新八代で待っていて!”と返信があった。

監事が全員のティケットを持っているので、駅に着いても改札口から出られないことに気付く。30分遅れの便に残り8人が乗車することがわかり、到着するまでホームの待合室で待つことになった。今頃当番幹事のKさんはどんなに慌てふためいていることだろう。

鹿児島中央駅の待合室で待ち時間がありすぎて油断したのだろうか。改札口通過→待合室→ホーム→乗車となっていたが、新しい駅で乗車までの流れに不慣れだったこともあるようだ。

新幹線は鹿児島中央駅〜新八代駅間を時速250キロ、34分で走る。70%はトンネルというがその数を数えた人がいて41箇所あった。これじゃ外の景色を楽しむ余裕はない。先日の試乗会で幼稚園児が感想を聞かれ、「つばめ」ではなく「もぐら」だったと言っていたが正に言い当てている。

この旅のメンバーは親睦と遊びを目的にした夫人グループで「たらの会」と称し、1年に2〜3回(新年会or忘年会、講演会、音楽会、旅行etc.)集まっている50〜70代女性、30人の集まりである。10数年継続している。

今回の旅の目的は313日に開通した九州新幹線に乗ることがメインで、柳川、三角、八代めぐりを兼ねて行こうと計画された。

2.詩情豊かな柳川へ

@ 川くだり

11時過ぎにやっと合流してマイクロバスで柳川へ向けて出発した。駅を出ると辺り一面に満開の菜の花畑が広がっている。山桜、白木蓮、桃・・・車窓から眺める外の色も風もすっかり春の佇まいである。約2時間かかって柳川へ到着。1時を過ぎており昼食会場の若松屋へ直行する。昼食待ちの合い間に後の便できた1人が動き出した新幹線に向かって手を振って「乗ります!」と叫んだと身振りおかしく語り、そのしぐさが面白くみな笑い転げてしまった。

柳川へ来たらやはり名物の「うなぎのセイロ蒸し」です。ふっくらと柔らかい熱々のうなぎとたれのしみこんだご飯との相性は絶妙で、口当たりよく体も温まりおいしかった。セイロ蒸しのうなぎは胃にもやさしい。

春休みで行楽シーズンのせいか柳川の「川くだり」を楽しもうと待っている人が多い。

船の喫水面からして水量が多いように感じて船頭さんに聞くと一昨日大雨が降って水かさが増えているという。前を行く船を見ているとちょっとバランスを崩したら横転しそうに見えちょっとハラハラした。船上からの写真撮りもじっとした姿勢で身を乗り出さないように注意した。右へ左へと視線をかえながら見ていくと、枝垂れ柳、白木蓮、黄梅(おうばい)、木瓜、辛夷、雪柳、水仙、れんぎょう・・・色とりどりの花が咲き乱れ観光客の目を楽しませ、なごませてくれる。土地が肥えているのか葱や葉もの野菜の生育がよい。目にする木や植物は春の息吹と春爛漫を謳歌しているようで活き活きしている。葉を落とした木に鷺が1羽止まっている。川面を流れる川風が心地よい。

ばっさりと剪定されたやなぎの枝先からは若緑の柔らかい枝が風に揺れ垂れている。冬の風雪にも耐えた生命力の強さを感じる。ゆったりと水を溜めた川面にはやはり枝垂れ柳が一番似合っている。水面に岸辺の景色を映しながら、やがて川幅の広い外堀から中掘りへ進んでいく。右手に水の弧を描きながらゆっくりと左へ曲がり、櫓もしなってのどかな春の日の時間が流れていく。これに船頭さんの舟歌が添えられて詩情豊かな水郷・柳川の風情たっぷりであった。
川めぐりの風情は四季によって違いがあるようで、以前11月に乗ったときは周囲の景色も彩りに乏しく寒かったという印象が強い。春が一番ではなかろうか。70分の川めぐりであった。
川雛

船を下りて地元ボランティア観光ガイドによる説明で歩いてまわった。柳川は北原白秋と壇一雄の出身地である。
世間では白秋は柳川出身としてよく知られているが、壇一雄の父の生家も直ぐ近くにあり柳川出身ですと強調して説明する。 今回は白秋生家の見学はしなかった。墓地に案内されたが、白秋一族の墓地に父と白秋の墓はない。借金をして離れたためついに故郷に戻ることはしなかったという。母校矢留小学校横の白秋碑苑に、白秋最後の思卿の詩「帰去来碑」がからたちの木の垣根を前にして建っている。ちょっと切なさを感じる。「水影の碑」には
「我つひに還りけり倉下や 揺るる水照(みずてり)の影はありつゝ」と20年ぶりに帰郷した時詠んだ詩が刻まれている。白秋の作品に関心のある人は歌碑めぐりもいいと思った。

  
A 柳川ひな祭りと『さげもん』

柳川は今ひな祭りの『さげもん』の時期で、街はお雛様一色である。

ここはひな壇飾りに加えて柳川地方独特のさげもんを飾る。

さげもん


さげもん専門店の店先は色とりどりのさげもんが下がっている。日本古来の色柄の取り合わせでつくられお祝い事にふさわしく見事で華やかなものである。
『さげもん』を孫のプレゼントに買う人もあった。私には無用でちょっと残念!
旧柳河藩主立花邸『御花』の古いひな壇、さげもんも見学した。



『さげもん』
・・・・・柳川地方のひな壇に必ず添えられるもので、縁起のよい鶴・うさぎ・宝袋・三番そう・鶏・這い人形など手作りの布細工のぬいぐるみと、鮮やかな糸で巻かれた柳川まりを組み合わせた吊り雛です。
 女の子の生まれた家庭ではその子の一生の幸せを願って、母親、祖母、親戚、知人などから贈られる。



3.宿泊地の熊本へ

4時30分に一路今晩の宿泊地・熊本へ向けて出発。

熊本の市街地に入るとあたりは暮れなずんでいるが見覚えのある建物が目にとまる。いとこ会で6〜7年前まで何度か来た街である。夏の盛りに流れるような汗を拭き拭き熊本城へ上ったことを思い出した。

夕食は鶴屋デパートのすぐ近くにある居酒屋風のレストラン「五山」で摂った。

熊本らしい馬刺し、馬肉のしゃぶしゃぶが出た。しゃぶしゃぶは初めてで、刺身にもできる首部位と聞いて最初はちょっとためらいや抵抗感もあった。透明なポン酢で食べると柔らかくさっぱりした食感でおいしく連れの人たちもきれいにたいらげていた。
だご汁はうどん粉を練って手でちぎり入れて煮込んである。だんごにささがき牛蒡が入っただけの味噌仕立ての素朴な一品で、新牛蒡のかおりがよく昔のすいとんを思い出すような懐かしい味がした。お総菜用には具沢山でつくって食べてもおいしそう。山梨の「ほうとう」、新潟はじめ各地の「のっぺい汁」、鹿児島の「さつま汁」とその土地独特の汁物がある。体も温まり栄養的にもバランスのとれたメニューである。
腹ごなしも兼ねて10分位の道のりを夜風にあたりながら白川沿いを歩いてホテルへ戻った。川沿いのさくらは6〜7分咲きで夜目に薄ぼんやり白く浮いて見える。

.三角町戸馳「花の学校」へ

翌日は宇土を経て三角の戸馳(とばせ)にある花の島へ。

熊本平野が一面広がっており、あたりに山影は見えず民家もどっしり構えたものが多い。宇土半島に出てくると右手に島原湾が広がり、遠くに雲仙岳を望める。以前このグループで長崎くんちを見に行き雲仙をまわって戻ったことがある。普賢岳の噴火で火砕流のあった翌年で土石流で屋根まで埋まってしまった民家の悲惨な災害状況を目にした。早いものであれから10年過ぎている。三角で久しぶりに天草五橋1号橋(天門橋)を見る。開通して間もない頃一度渡ったきりである。

戸馳(とばせ)は熊本と天草を結ぶ宇土半島の西南端、不知火海に浮かぶ面積7平方キロメートルの戸馳島にあり花の島として有名。戸馳大橋で渡れる。胡蝶蘭をはじめとする欄の花のメッカで、温室・栽培展示ハウスでは一年中珍しい洋蘭が見られる。胡蝶蘭とエビネ蘭に似たエビトンドラム(オレンジ色、黄色)が見事に咲いていた。四季折々の草花が咲いている広場、不知火海、八代海が望める。花をテーマにいろいろな講習会や押し花教室などが準備されている。カスミ草のドライフラワーはあっという間に売り切れてしまった。おばさん一行は荷物になることはなんのそのお構いなしである。

主婦の皆さんは買い物に興味があり荷物はどんどん膨らんでいく。道の駅不知火物産センターでは生椎茸を箱ごと買う人もあり、人ごとながら傷まなければいいと気になる。旅をしながら戻り道は“今夜のおかずは?”と気にかけているのです。かくいう私の手荷物もかさ張りはじめた。店先の紙に張られた「いきなり団子・400円」の文字に吸い寄せられるように近づいていった。

「あっ、これだ!」

「蒸したての熱々ですよ」

「Tパック(5個入り)ください」

昨年東京・銀座の熊本県物産館に寄ったとき宣伝販売していて知り素朴でおいしいと思っていたのです。その時も冷凍品を買っていこうと思ったほど気に入り、地元で見つけて見逃すてはありません。期待どおりおいしかったです!!

胡蝶蘭

5.八代から帰途へ

松橋インターから一路八代へ向かう。

海の幸の昼食後、「八代市立博物館未来の森ミュージアム」を見学した。涅槃絵展が開催中で興味深く見た。釈迦が入滅(死)する場面の絵の展示の中で仏弟子の表情に関心がいき宗教心のない私もジーッと見入っていた。心休まるものを覚えた。展示の8点は江戸時代のものが多くほとんど八代市内の寺所有のものであった。

帰りの新幹線は全員無事乗車して16時28分・鹿児島中央駅着。お疲れさまでした。

今回の旅は盛りだくさんのスケジュールで楽しく面白かった! 
ハプニングもあって忘れられないだろう!(幹事さん、ゴメンナサイ)

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